第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 乱兆(四)
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百官の拝礼が終つて、
「新帝万歳」
の声が、喪(も)の禁苑をゆるがすと共に、御林軍(ギヨリングン)(近衛兵)を指揮する袁紹は、
「次には、陰謀の首魁蹇碩を血まつりにあげん」
と、剣を抜いて宣言した。
そしてみずから宮中を捜しまはつて、蹇碩のすがたを見つけ
「おのれつ」
と、何処(どこ)までもと追ひかけた。
蹇碩はふるへ上つて、懸命に逃げまはつたが、度を失つて御苑の花壇の陰へ這ひこんでゐたところを、何者かに尻から槍で突き殺されてしまつた。
彼を突き殺したのは、同じ仲間の十常侍郭勝(クワクシヨウ)だともいはれてゐるし、そこらに迄(まで)、乱入してゐた一兵士だとも云はれてゐるが、孰(いづ)れにせよ、それすら分らない程、もう宮闕(キウケツ)の内外は大混乱を呈して、人々の眼も血ばしり、気も逆上(あが)つてゐたにちがひなかつた。
袁紹は、更に気負つて、何進の前へ行き、
「将軍、何で無言のまゝこの混乱を見てゐるんですか。時は今ですぞ、宮廷の癌(ガン)、社稷(シヤシヨク)の鼠賊(ソゾク)ども、十常侍の輩(ともがら)を一匹残らず殺してしまはなければいけません。この機を逸したら、再び臍(ほぞ)を嚙むやうな日がやつて来ますぞ」
と、進言した。
「ウむ。……むむ」
何進はうなづいてゐた。
けれど顔色は蒼白で、日頃の元気も見えない。元来、小心な何進、一時は憤怒に馳(か)られて、この大事を敢(あへ)て求めたが、一瞬のまに禁門の内外はこの世ながらの修羅地獄と化し、自分を殺さうと謀つた蹇碩も殺されたと聞いたので、一時の怒りもさめて、むしろ自分の放(つ)けた火の果(はて)なく拡がりさうな光景に、呆然と戦慄を覚えてゐるらしい容子であつた。
その間に。
一方十常侍の面々は、
「素破(すは)、大変」
と、狼狽して、張譲を初め、各各生きた心地もなく、内宮へ逃げこんで、窮餘の一策とばかり、何進の妹にして皇后の位置にある何后の裙下(クンカ)にひざまづいて、百拝、憐愍を乞うた。
「よい、よい。安心せい」
何后はすぐ、兄の何進を呼びにやつた。
そして何進を宥(なだ)めた。
「私たち兄妹が、微賤の身から今日の富貴となつたのも、その始めは十常侍たちの内官の推薦があつたからではありませんか」
何進は、妹にさう云はれると、むかし牛の屠殺をしてゐた頃の貧しい自分の姿が思ひ出された。
「なに、俺は、俺を殺さうと謀つた蹇碩の奴さへ誅戮すればいゝのだ」
内宮を出ると、何進は、右往左往する味方や宮内官たちを、鎮撫する気で言つた。
「蹇碩は、すでに誅罰した。彼は我を害さんとしたから斬つたのである。我に害意なき者には、我又害意なし。安心して鎮まれ!」
すると、それを聞いて、
「将軍、何をばかな事を云ふんですか」
と、袁紹は血刀を持つたまゝ彼の前へ来て、その軽忽(ケイコツ)を責めた。
「この大事を挙げながら、そんな手ぬるい宣言を将軍の口から発しては困ります。今にして、宮闕の癌を除き、根を刈り尽して置かなければ、後日必ず後悔なさいますぞ」
「いや、さう云ふな。宮門の火の手が、洛陽一面の火の手になり、洛陽の火の手が、天下を燎原の火としてしまつたら取返しがつかんぢやないか」
何進の優柔不断は、たうとう袁紹の言を容れなかつた。
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次回 → 舞刀飛首(ぶたうひしゆ)(二)(2023年12月26日(火)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。また、昭和14年12月26日(火)付の夕刊も休刊だったため、12月25日(月)の配信もありません。