後漢の建寧元年の頃。
今から約七百七十年ほど前の事である。
一人の旅人があつた。
腰に、一剣を佩いてゐるほか、身なりは至つて見すぼらしいが、眉は秀で、唇(くち)は紅く、とりわけ聡明さうな眸(ひとみ)や、豊な頰をしてゐて、常にどこかに微笑をふくみ、総じて賤しげな容子がなかつた。
年の頃は二十四、五。
草むらの中に、ぽつねんと坐つて、膝をかゝへ込んでゐた。
悠久と水は行く——
微風は爽やかに鬢をなでる。
涼秋の八月だ。
そしてそこは、黄河の畔の——黄土層の低い断り岸であつた。
「おーい」
誰か河でよんだ。
「——そこの若い者ウ。何を見てるんだい。いくら待つてゐても、そこは渡舟(わたし)の着く所ぢやないぞ」
小さな漁船から漁夫が云ふのだつた。
青年は笑靨(えくぼ)を送つて、
「ありがたう」
と、少し頭を下げた。
漁船は、下流へ流れ去つた。けれど青年は、同じ所に、同じ姿をしてゐた。膝をかゝへて坐つたまゝ遠心的な眼をうごかさなかつた。
「おい、おい、旅の者」
こんどは、後を通つた人間が呼びかけた。近村の百姓であらう。ひとりは鶏の足をつかんで提げ、ひとりは農具を担いでゐた。
「——そんな所で、今朝から何を待つてるんだね。この頃は、黄巾賊とかいふ悪徒が立ち廻るからな。役人衆に怪あやしまれるぞよ」
青年は、振顧()(ふりかへ)つて、
「はい、どうも」
大人しい会釈を返した。
けれど猶、腰を上げようとはしなかつた。
そして、幾千万年も、かうして流れてゐるのかと思はれる黄河の水を、飽かずに眺めていた。
(——どうしてこの河の水は、こんなに黄色いのか?)
汀(みぎは)の水を、仔細に見ると、それは水その物が黄色いのではなく、砥石を粉に砕いたやうな黄色い沙の微粒が、水に混つていちめんに躍(おど)つてゐる為、濁つて見えるのであつた。
「——あゝ、この土も」
青年は、大地の土を、一つかみ掌に掬つた。そして眼を——遙か西北の空へじつと放った。
支那の大地を作つたのも、黄河の水を黄色くしたのも、みなこの沙の微粒である。そしてこの沙は中央亜細亜の沙漠から吹いて来た物である。まだ人類の生活も始まらなかつた何万年も前の大昔から——不断に吹き送られて、積り積った大地である。この広い黄土と黄河の流れであつた。
「わたしの御先祖も、この河を下つて……」
彼は、自分の体に今、脈搏つている血液がどこから来たか、その遠い根元までを想像してゐた。
支那を拓いた漢民族も、その沙の来る亜細亜の山岳を越えて来た。そして黄河の流れに添ひつゝ次第に殖(ふ)え、苗族といふ未開人を追つて、農業を拓き、産業を起し、こゝに何千年の文化を植ゑて来たものだつた。
「御先祖さま、見てゐて下さいまし。いやこの劉備を、鞭打つて下さい。劉備はきつと、漢の民を興します。漢民族の血と平和を守ります」
天へ向つて誓ふやうに、劉備青年は、空を拝してゐた。
すると直(す)ぐ後へ、誰か突つ立つて、彼の頭から呶鳴(どな)つた。
「うさんな奴だ。やいつ、汝は、黄巾賊の仲間だらう?」
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次回 → 黄巾賊(二)