第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 舞刀飛首(ぶたうひしゆ)(一)
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一時、禁門の兵乱は、治まつたかに見えた。
その後。
何后、何進の一族は、
「邪魔ものは董太后である」
と、悪策をめぐらして、太后を河間(カカン)(河北省・滄州(サウシウ)の四方)といふ片田舎へ遷(うつ)してしまつた。
故霊帝の母公たる董太后も、今は彼等の勢力に拒む力もなかつた。これといふのも、前帝の寵妃(チヨウヒ)だつた王美人の生んだ協皇子を愛するの餘り、何后、何進等の一族から睨まれた結果と——ぜひなき運命の輦(くるま)のうちに涙にくれながら都離れた地方へ送られて行つた。
けれど、何后も何進も、それでもまだ不安を覚えて、秘(ひそ)かに後から刺客をやつて、董太后を殺してしまつた。
わづかの間に、董太后はふたゝび洛陽の帝城に還つて来たが、それは柩(ひつぎ)の中に冷たい空骸(むくろ)となつて戻られたのであつた。
京師では大葬が執行(とりおこな)はれた。
けれど、何進は、
「病中——」
と称して、宮中へも世間へも顔を出さなかつた。
彼は怒(おこり)つぽい。
然(しか)し、小心であつた。
彼は自己や一門の栄華のために大悪も敢(あへ)てする。けれど小心な彼は半面で又、ひどく世間に気がねし、自らも責めてゐる。
要するに何進は、下賤から人臣の上に立つたが、大なる野望家にも成りきれず、ほんとの悪人にもなりきれず、位階冠帯は重きに過ぎて、右顧左眄、気ばかり病んでゐるつまらない人物だつた。
貝殻が人の跫音(あしおと)に貝のフタをしてゐるやうに、門から出ないので、或る日、袁紹は何進の邸(やしき)を訪ねて、
「どうしました将軍」
と、見舞つた。
「どうもせんよ」
「お元気がないぢやないですか」
「そんな事はない」
「——所で、聞きましたか」
「何を?…………ぢやね」
「董太后のお生命(いのち)をちゞめた者は何進なりと、又、例の宦官共が、しきりと流言を放つてゐるのを」
「…………ふウむ」
「だから私が云はない事ではありません。今からでも遅くないでせう。飽(あく)までも、彼奴等(きやつら)は癌ですよ。根こそぎ切つてしまはなければ、何(ど)う懲(こら)しても、日が経てばすぐ芽を生やし、根を張つて、増長吾儘(ゾウチヤウわがまゝ)、陰謀暗躍、手がつけられない物になるんです」
「……む、む」
「御決断なさい」
「考へておかう」
煮え切らない顔つきである。
袁紹は舌打して帰つた。
奴僕の中に、宦官たちのまはし者が住みこんでゐる。
「袁紹が来てかう[かう]だ」
とすぐ密報する。
諜報をうけて、
「又、大変だ」
と、宦官等はあわてた。——だが、危険になると、消火栓のやうな便利な手がある。何進の妹の何后へ縋(すが)つて泣訴することであつた。
「いゝよ」
何后は、彼等からあやされてゐる簾中(レンチウ)の人形だつたが、兄へは権威を持つてゐた。
「何進をおよび」
又、始まつた。
「兄さん、あなたは、悪い部下にそゝのかされて、又この平和な宮中を乱脈に騒がすやうな事を考へなどなさりはしないでせうね。禁裡の内務を宦官が司(つかさど)るのは、漢の宮中の伝統で、それを憎んだり殺したりするのは、宗廟に対して非礼ではありませんか」
釘を刺すと、何進は、
「おれは何もそんな事を考へて居りはせぬが……」
と、曖昧に答へたのみで退出してしまつた。
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次回 → 舞刀飛首(ぶたうひしゆ)(三)(2023年12月27日(水)18時配信)