第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 舞刀飛首(ぶたうひしゆ)(二)
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宮門から退出して来ると、
「将軍。どうでした」
と、彼の乗物の蔭に待つてゐた武将が、参内の吉左右(きつさう)を小声でたづねた。
「ア。……袁紹か」
「何太后に召されたと聞いたので、案じてゐた所です。何か、宦官の問題で、御内談があつたのでせう」
「……ム。あつたにはあつたが」
「御決意を告げましたか」
「いや、此方(このはう)から云ひ出さないうちに、太后から、憐愍の取做(とりな)しがあつたので」
「いけません」
袁紹は、断乎として云つた。
「そこが、将軍の弱点です。宦官どもは、一面にあなたを陥し入れるやうに、陰謀や悪宣伝を放つて、露顕しかゝると、太后の裳(も)やお袖にすがつて、泣き声で訴へます。——お気の弱い太后と、太后のいふ事には反(そむ)かないあなたの急所を、彼等はのみこんでやつてゐる仕事ですからな」
「成程……」
さう言はれると、何進も、気づく所があつた。
「今です。今のうちです。今日を措いて、いつの日か有りませう。宜(よろ)しく、四方の英雄に檄(ゲキ)を飛ばし、以て万代(バンダイ)の計を、一挙に定められるべきです」
彼の熱辯には、何進もうごかされるのである。成程と思ひ——それもさうだと思ひ、いつのまにか、
「よしつ、やらう。実はおれもそれ位(くらゐ)の事は考へてゐたのだ」
と、云つてしまつた。
二人の密談を、乗物のおいてある樹蔭(こかげ)の近くで聞いてゐた者がある。典軍の校尉曹操であつた。
曹操は、独りせゝら笑つて、
「ばかな煽動をする奴もあればあるものだ。癌は体ぢうにできてゐる物ぢやない。一箇の元兇を抜けばいゝのだ。宦官のうちの首謀者を抓(つま)んで牢へぶちこめば、刑吏の手でも事は片づくのに、諸方の英雄へ檄を飛ばしたりなどしたら、漢室の紊乱(ビンラン)は忽(たちま)ち諸州の野望家の窺(うかゞ)ひ知るところとなり、争覇の分脈は、諸国の群雄と、複雑な糸をひいて、天下は忽ち大乱にならう」
それから、彼は又、何進の輦(くるま)に従(つ)いて歩きながら、
「……失敗するに極(きま)つてゐる。さあ、その先は、何(ど)んなふうに風雲が旋(めぐ)るか」
と、独り語(ごと)に云つてゐた。
けれど、曹操は、もう自分の考へを、何進に直言はしなかつた。その点、袁紹の如く真つ正直な熱辯家でもないし、何進のやうな小胆者とも違ふ彼であつた。
彼は今、天下に多い野望家とつぶやいたが、彼自身もその一人ではなからうか。白皙秀眉(ハクセキシウビ)、丹唇(タンシン)をむすんで、唯々(ヰヽ)として何進の警固に従(つ)いてはゐるが、どうもその輦の中にある上官よりも、典軍の一将校たる彼のはうが、もつと底の深い、もつと肚も黒い、そしてもつと器も大きな曲者ではなからうかと見られた。
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茲(こゝ)に。西涼(セイリヤウ)(甘粛省・蘭州)の地にある董卓は、前(さき)に黄巾賊の討伐の際、その司令官ぶりは至つて香(かんば)しくなく、乱後、朝廷から罪を問はれるところだつたが、内官の十常侍一派を巧(たくみ)に買収したので、不問に終つたのみか、かへつて顕官の地位を占めて、今では西涼の刺史(シシ)、兵二十万の軍力をさへ擁してゐた。
その董卓の手へ、
「洛陽からです」
と或る日、一片の檄が、密使の手から届けられた。
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次回 → 舞刀飛首(ぶたうひしゆ)(四)(2023年12月28日(木)18時配信)