第一回 → 黄巾賊(一)
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何進は、その報(し)らせを手にすると、会議の席へ戻つてきて、諸大臣以下一同に向ひ、
「たゞ今、重大なる報らせがあつたが、まだ公(おほやけ)の発表ではないから、そのつもりで聞いて欲しい」
と、前提し、厳粛なる口調で、次のやうに述べた。
「天子、御不例久しきに亘(わた)つてをつたが、今日遂に、嘉徳殿(カトクデン)に於て、崩御あそばされた」
「…………」
何進がさう云ひ終つても、やゝ暫(しばら)くの間、会議の席は寂として、声を発する者もなかつた。
諸大臣の面上には、はつとしたやうな色が流れた。豫期してゐた事ながら、
——何(ど)うなる事か?
と、この先の政治的な変動やら一身の去就に、暗澹たる動揺がかくしきれなかつた。
しかも場合が場合である。
何進が、十常侍をみな殺しにせんと息まいてこの席に計り、十常侍等は、何進を謀つて、亡き者にしようと、暗躍してゐるといふ折も折であつた。
抑(そも)、何の兆(きざし)か。
人々が、一瞬自失したかのやうに、暗澹たる危惧の底に沈んで、
——ああ、漢朝四百年の天下も今日から崩れ始める兆か。
と、いふやうな豫感に襲はれたのも、決してむりではない。
暫(しば)し、黙禱のうちに、人々は亡き霊帝を繞(めぐ)る近年の宮廷の浅ましい限りな女人と権謀の争ひやら、数々の悪政の頽廃を胸によび回(かへ)して、今更のやうに、深い嘆息をもらし合つた。
× ×
× ×
霊帝は不幸なお方だつた。
何も知らなかつた。十常侍たちの見せる「偽飾(ギシヨク)」ばかりを信じられて、世の中の「真実」といふものは、何一つ御存じなく死んでしまつた。
十常侍の一派に取つては、霊帝は即ち「盲帝(マウテイ)」であつた。傀儡にすぎなかつた。王座は彼等が暴政をふるひ魔術をつかふ恰好な壇上であり帳(とばり)であつた。
その悪政を数へたてればきりもないが、まづ近年の事では、黄巾の乱後、恩賞を与へた将軍や勲功者へ、裏から密(ひそか)に人を遣(や)つて、
「公等の軍功を奏上して、公等はそれぞれ莫大な封禄の恩典にあづかりたるに、それを奏した十常侍に、なんの沙汰もせぬのは、非礼ではないか」
などゝ賄賂のなぞをかけたりした。
恐れて、すぐ賂(まひない)を送つた者もあるが、皇甫嵩と、朱雋の二将軍などは、
「何をばかな」
と、一蹴したので、十常侍たちは交々(こも[ごも])に、天子に讒(ザン)したので、帝は忽(たちま)ち、朱雋、皇甫嵩のふたりの官職を剝いで、それに代るに、趙忠(テウチウ)を車騎将軍に任命した。
又、張譲(チヤウジヤウ)その他の内官十三人を列侯に封じ、司空(シコウ)張温(チヤウウン)を大尉に昇せたりしたので、さういふ機運に乗つた者は、十常侍に媚びおもねつて、更に彼等の勢力を増長させた。
稀々(たま[たま])、忠諫をすゝめ、真実をいふ良臣は、みな獄に下されて、斬られたり毒殺されたりした。従つて宮廷の紊(みだ)れは、偽(あざむ)かず、民間に反映して、地方にふたゝび黄巾賊の残党やら、新しい謀叛人が蜂起して、洛陽城下に天下の危機が聞えて来た。
この動乱と風雲の再発に、人の運命も波浪に弄ばされる如く転変を極めたが、稀々(たま[たま])、幸(さいはひ)したのは、前年来、不遇の地に趁(お)はれて、代州の劉恢の情(なさけ)に漸(やうや)く身をかくしてゐた劉備玄徳であつた。
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次回 → 乱兆(三)(2023年12月21日(木)18時配信)