第一回 → 黄巾賊(一)
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主の劉恢であつた。
劉恢は、室内の様子を見て、
「おさしつかへないですか」
と、二人の許しをうけてから入つて来た。そして云ふには、
「困つた事ができました。数日の内に、洛陽の巡察使と定州の太守が、この地方へ巡遊に来る。そしてわしの邸(やしき)がその宿舎に当てられる事になつた。当然、あなた方の潜伏してゐる事が発覚する。一時何処(どこ)かへ隠れ場所をお移しなさらぬと危いが」
といふ相談であつた。
折も折である。
関羽、張飛も、一時は途方にくれたこゝちがしたが、むしろこれは、天が自分等の懶惰を誡(いまし)むるものであると思つて、
「いや、御当家にも、だいぶ長い間の逗留と成りました。さういふ事がなくても、この辺で一転機する必要がありませう。いづれわれわれ共三名で相談の上、御返辞申しあげます」
「何ともお気の毒ぢやが。……猶(なほ)、落着く先にお心当りもなければ、わしの信じる人物で安心のなる所へ御紹介もして上げますから」
劉恢は、さう云つて、戻つて行つた。
後で、二人は顔見あはせて、
「玄徳様と芙蓉娘の仲を、主も覚(さと)つて来て、これはいかんと、急にあんな口実を云つて来たのではあるまいか」
「さあ。何(ど)うとも知れぬ」
「然(しか)し、いゝ機(しほ)だ」
「さうだ。玄徳様の為(ため)には至極いい事だ」
翌朝。二人はさつそく、
「云々(しか[じか])のわけですが」
と、玄徳に主の旨を伝へて、善後策を謀つた。
すると玄徳は、一時は、はつとした顔色だつたが、直ぐ俯向いた眼ざしを屹(きつ)とあげて、
「立退(たちの)こう。恩人の劉大人に御迷惑をかけてもならぬし、自分も何日(いつ)まで安閑とこゝに居る気もなかつた所だから」
と、云つた。
さう云ふ玄徳の面(おもて)には、深く現在の自身を反省してゐるらしい容子が見えた。
そこで関羽は、思ひきつて、かう云つてみた。
「——ですが、お名残(なごり)惜(をし)くはありませんか、此家の深窓の佳人に」
玄徳は微笑の裡(うち)にも、幾分か羞恥の色をたゝへながら、
「否(いな)とよ、恋は路傍の花」
と、答へた。
その一言に、
「さすがは」
と関羽も、自分の取越し苦労を打消し、すつかり眉をひらいた。
「さういふお気持なら安心ですが、実は、われ[われ]の盟主たり又、大望を抱いてゐる英傑児が、一女性の為(ため)に、壮志を蝕まれてしまふなどゝは、残念至極だと、張飛と共に、密(ひそか)に案じてゐたところなのです。——では貴方(あなた)は飽(あく)まで、芙蓉娘と本気で恋などに墜ちてゐるわけではありますまいな」
「いや」
玄徳は、正直に云つた。
「恋を囁(さゝや)いてゐる間は、恥かしいが、わしは本気で恋を囁いてゐるよ。女を欺けない、又、自分も欺けない。唯(たゞ)、恋あるのみだ」
「え……?」
「だが両君。乞ふ、安んじてくれ給(たま)へ。玄徳はそれだけが全部には成りきれない。恋の囁きも一瞬(いつとき)の間だ。すぐわれに返る。中山靖王の後裔劉備玄徳といふわれに返る。寒村の田夫から身を起し、義旗をひるがへしてから既に両三年、戦野の屍となりつるか、洛陽の府にさまよへるか、と故郷には今猶(なほ)、わが子の我を待ち給ふ老母もゐる。なんで大志を失はうや。……両君も、それは安心して可なりである。玄徳を信じてくれい」
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次回 → 故園(こゑん)(一)(2023年12月15日(金)18時配信)