第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 岳南の佳人(一)
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北へ、北へ、車馬と落ち行く人々の影はいそいだ。
幾度か、他州の兵に襲はれ、幾度か追手の詭計(キケイ)に墜ちかゝり、百難をこえ、漸(やうや)くにして代州(山西省・代県)の五台山下まで辿りついた。
「張飛。御身の指図で、こゝ迄(まで)はやつて来たが何か落着く先の目的(めあて)はあるのか。——此処はもう、五台山の麓だが」
関羽も云ふし、玄徳も、実は案じてゐたらしく、
「いつたい、これから何処(どこ)へ落着かうといふ考へか」
と、共々に訊ねた。
「御安心なさるがよい」
張飛は大のみこみで云つた。そして岳麓の平和さうな村へ行き着くと、
「暫(しばら)く、御一同は、その辺に車馬を休めて待つてゐて下さい」
と、一人で何処へか立ち去つたが、程なく立ち帰つて来て、
「劉大人(リウタイジン)が承知してくれました。もう大船に乗つた気でおいでなさい」
と告げた。
「劉大人とは、何処の何をしてをる人物かね」
「この土地の大地主です。まあ大きな郷士といつたやうな家柄と思へばまちがひありません。常に百人や五十人の食客は平気で邸においてゐるんですから、われわれ二十人やそこらの者が厄介になつても、先は平気です。またこの地方の人望家でもありますから、暫く身を匿つておいてもらふには、何よりな場所でせうが」
「それは願つてもない事だが、御身との間がらは、何(ど)ういふ仲なのだ」
「劉大人も、今こそ、こんな田舎にかくれて、岳南の隠士などゝ気どつてゐますが、以前は、拙者の旧主鴻家とは血縁もあつて、軍糧兵馬の相談役もなされ、何かと、旧主鴻家とは、往来してをつたのであります。——その頃、自分も鴻家の一家臣として、御懇意をねがつてゐたので、鴻家が滅亡の後も、実は、拙者の飲み代だの、遺臣の始末などにも、ずゐぶん御厄介になつたもので」
「さうか。その上に又、同勢二十人も、食客をつれこんでは、劉大人も、眉をひそめておいでだらう」
「そんな事はありません。非常に浪人を愛する人ですし、玄徳様の御素姓と、われわれ義軍が、官地を捨てゝ去つた事など、つぶさにおはなしした所、苦労人ですから、非常によく分つてくれて、二年でも三年でもゐるがいゝといふわけなんで」
張飛のことばに、
「さういふ人物の邸(やしき)なら身を寄せてもよからう」
と、玄徳も安心して、彼の案内について行つた。
すると、岳麓の疎林のほとりに、一廓の宏壮な土塀が見えた。玄徳等を誘(いざな)ひながら、張飛が、
「あの邸です。どうです、まるで豪族の家のやうでせう」
と、自分の住居でゞもあるやうに誇つて云つた。
玄徳がふと驢を止めて見てゐると、その邸の並(ならび)の杏(あんず)の並木道を今、鄙(ひな)には稀な麗人が、白馬に乗つて通つてゆくのが見えた。美人の驢の後(うしろ)からは、ひとりの童子が、琴を担(にな)つて、眠さうに供をして行つた。
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次回 → 岳南の佳人(三)(2023年12月9日(土)18時配信)