第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 打風乱柳(ダフウランリウ)(三)
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一散に馳けた玄徳等は、ひとまづ私宅に帰つて、私信や文書の反故(ほご)などみな焼きすて、その夜のうちに、此地を退去すべく慌(あわたゞ)しい身支度にかゝつた。
官を捨てゝ野に去らうとなると、これは張飛も大賛成で、わづかの手兵や召使を集め、
「御主人には今度、遽(にはか)に、思ふ事があつて、県の尉たる官職を辞め、暫(しばら)く野に下つて、悠々自適なさる事になつた。然(しか)し、実はおれが勅使督郵を半殺しの目にあはせたのが因(もと)だ。就(つい)ては、身の落着きの目的(めあて)のある者は、家に帰れ。的(あて)のない者は、病人たりとも、捨てては行かぬ。苦楽を共にする気で御主人に従つて参れ」
と、云ひ渡した。
貰ふ物を貰つて、自由に何処(いづこ)かへ去る者もあり、何処(どこ)までも、玄徳様に従つてと、残る者もあつた。
かくて夜に入るのを待ち、手廻りの家財を驢や車に積み、同勢二十人ばかりで、遂に、官地安喜県を後に、闇に紛れて落ちて行つた。
——一方の督郵は。
あの後、間もなく、下吏(したやく)の者が寄つて来て、役所の中へ抱へ入れ、手当を加へたが、五体の傷は火のやうに痛むし、大熱を発して、幾刻かは、まるで人事不省であつた。
だが、軈(やが)て少し落着くと
「県尉の玄徳はどうしたつ」
と、囈言(うはごと)みたいに呶鳴(どな)つた。
その玄徳は、官の印綬を解いて、あなたの首へかけると、捨て科白(ぜりふ)を云つて馳け走りましたが、今宵、一族をつれて夜逃げしてしまつたといふ噂です——と側の者が告げると
「何。逃げ落ちたと。——ではあの張飛といふ奴もか」
「さうです」
「おのれ、この儘(まゝ)、おめ[おめ]と無事に、逃がしてならうか。——つ、つかひを、直(す)ぐ急使を遣(や)れつ」
「都へですか」
「ばかつ。都へなど、使(つかひ)を立てゝゐたひには間にあふものか。こゝの定州(河北省・保定正定ノ間)の太守へだ」
「はつ。——何としてやりますか」
「玄徳、常に民を虐し、こんど勅使の巡察に、その罪状の発覚を恐るゝや、かへつて勅使に暴行を加へ、良民を煽動して乱をたくめど、その事、いちはやく官の知るところとなるや、一族をつれて夜にまぎれ、無断官地を捨てゝ逃れ去る——と」
「はつ。わかりました」
「待て。それだけではいかん。直ぐさま、迅兵をさし向けて、玄徳等を召捕へ、都へ御檻送(ごカンソウ)くださるべしと、促すのだ」
「心得ました」
早馬は、定州の府へ飛んだ。
定州の太守は
「すは、大事」
と、勅使の名に惧(おそ)れ、又、督郵の詭辯にも、うまく乗せられて、八方へ物見を走らせ、玄徳たちの落ちて行つた先を探させた。
数日の後。
「何者とも知れず、安喜県のほうから代州(ダイシウ)のはうへ向つて、驢車に家財を積み、十数名の従者つれ、そのうち三名は、驢に乗つた浪人風の人物が、北へ北へとさして行つたといふ事でありますがと」
との報告があつた。
「それこそ、玄徳であらう。縛(から)め捕つて、都へ差立てろ」
定州の太守の命をうけて、即座に鉄甲の迅兵約二百、ふた手にわかれて、玄徳等の一行を追ひかけた。
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次回 → 岳南の佳人(二)(2023年12月8日(金)18時配信)