第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 打風乱柳(ダフウランリウ)(一)
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門外へ出て来ると
「犬にでも喰はれろ」
と、張飛は、引つ抱へて来た督郵のからだを、大地へたゝきつけて罵つた。
「汝のような腐敗した佞吏(ネイリ)がゐるから、天下が乱れるのだ。乱賊は打つも、佞吏を懲(こら)す者はない。人の為し得ぬ正義を為し、人の抗し得ぬ権力に抗す。それを旗幟(はたじるし)とする義軍の張飛を知らずや。やいつ」
督郵の顔を踏んづけて、張飛がいふと、督郵は、手足をばた[ばた]させて
「者共つ。この狼藉《ろうぜき》を。——この乱暴者を、搦め捕れ。誰かゐないか」
悲鳴に似た声でわめいた。
「やかましい」
髻(もとどり)をつかんで引廻した上、張飛は、門前の巨(おほ)きな柳の樹に目をつけて
「さうだ、見せしめの為に」
と、督郵の両手(もろて)を有(あり)あふ縄で縛りあげ、その縄尻を柳の枝に投げて、吊しあげた。
柳から生(な)つた人間のやうに、督郵の足は宙に浮いた。張飛は、彼が暴れても落ちないやうに縄の端を幹に巻いて
「どうだ、やいつ」
と、一本の柳の枝を折つて、まづぴしりと一つ撲(なぐ)つた。
「痛いつ」
「あたり前だ」
と、又一つ打ち、
「悪吏の虐政に苦しむ人民の傷みはこんなものぢやないぞ。汝も、廟鼠(ベウソ)の一匹だらう。彼(か)の十常侍などいふ佞臣の端くれだらう。その醜い面を曝(さら)せよ。その卑しい鼻の穴を天日に向けて哭(な)けつ。——かうか、かうか、かうしてやる」
柳の枝は、すぐ粉になつた。
又新しい柳の枝を折つて撲りつけるのだつた。三十、四十、五十、二百以上も打ちすゑた。
督郵は、見得もなく、ひイ[ひイ]と声をあげて
「ゆるせ」
と、泣声出し、
「待て、待つてくれ。何でも云ふ通りにするから」
と、遂には、涙さへこぼして、あはれつぽく叫んだが
「だめだ。その手は食はぬ」
と、張飛は、乱打をやめなかつた。
その日も玄徳は、私宅に閉ぢ籠(こも)つて、怏々と勝(すぐ)れない一日を過してゐたが、誰やらあわたゞしく門をたゝく者があるので自身出てみると四、五名の百姓が
「大変です。今、張飛さまが、お酒に酔つて、役所の門をぶちこはし、勅使の督郵といふ高官を、柳の木に吊しあげて打ちすゑてをります」
と、告げて去つた。玄徳は驚いて、そのまゝ馳け出して行つた。
折ふし居合せた関羽も、
「ちえツ、張飛のやつ、又持病を起したか」
と、舌打しながら、玄徳の後から馳けつけた。
見ると、柳に吊されてゐる督郵は、衣裳もやぶれ、脛(はぎ)は血を流し、顔面は紫いろに膨れてゐた。もう少し遅かつたら、すんでの事、撲り殺されてゐたであらう。
仰天して、玄徳は
「これつ、何をする」
と、張飛の腕くびをつかんで叱りつけた。
張飛は、大息つきながら
「いや、止めないで下さい。民を害する逆賊とはこいつの事です。息のねを止めないでは俺の虫が納まらん」
と、玄徳の遮りなどは物ともせず、更に、柳鞭(リウベン)を唸らせて、督郵のからだを所きらはず打ちつゞけた。
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次回 → 打風乱柳(ダフウランリウ)(三)(2023年12月6日(水)18時配信)