第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 十常侍(三)
【前回までの梗概】
◇…後漢の建寧元年のことである。涿県楼桑村の青年劉備玄德は折柄(をりから)各地に蜂起した黄巾賊を平げ漢の景帝の末である自家を再興しようと張飛、関羽の二盟友を得て義兵を挙げた。
◇…初陣以来幾転戦、到る処で賊軍を破り大功をたてたが私兵の悲しさに勲功は一向に認められず天下が平定し従軍の諸士が夫々(それぞれ)恩賞に与(あづか)る中にあつて、彼のみは外城の門衛に甘じなければならなかつた。
◇…或る日、劉備に声をかけたのは知友の郎中張均であつた。劉備から話を聞いた張均は豫(かね)て論功行賞の不公平を歎いてゐたので直ちに霊帝に、側近にある十常侍を退けんことを奏したが却(かへ)つて彼等の知るところとなり毒殺されて了(しま)つた。然(しか)し張均の死によつて劉備は安喜県の尉に任ぜられた。僅か数ヶ月にして大いに治績を挙げた劉備の許に突然督郵が地方巡察に来た。
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勅使督郵の人もなげな傲慢さを眺めて
「いやに役目を鼻にかけるやつだ」
と、関羽、張飛は、かたはらいたく思つたが、虫を抑へて、一行の車騎に従ひ、県の役館へはいつた。
やがて、玄徳は、衣服を正して、彼の前に、挨拶に出た。
督郵は、左右に、随員の吏を侍立させ、さながら自身が帝王のやうな顔して、高座に構へこんでゐた。
「おまへは何だ」
知れきつてゐるくせに、督郵は上から玄徳等を見下ろした。
「県尉玄徳です。はるばるの御下向、ご苦労にございました」
拝(はい)を施すと
「あゝおまへが当地の県の尉か。途々(みち[みち])、われわれ勅使の一行が参ると、うすぎたない住民共が、車騎に近づいたり、指さしたりなど、甚(はなは)だ猥雑な態(テイ)で見物してをつたが、かりそめにも、勅使を迎へるに、何といふ事だ。思ふに平常の取締りも手ぬるいとみえる。もちつと王威を知らしめなければいかんよ」
「はい」
「旅館のはうの準備は整うてをるかな」
「地方の事とて、諸事おもてなしは出来ませんが」
「われわれは、きれい好きで、飲食は贅沢である。田舎のことだから仕方がないが卿等(ケイら)が、勅使を遇するに、どういふ心をもつて歓待するか、その心もちを見ようと思ふ」
意味ありげなことを云つたが、玄徳には、よく解し得なかつた。けれど、帝王の命をもつて下つて来た勅使であるから、真心をもつて、応接した。
そして、一先(ひとま)づ退(さが)らうとすると、督郵は又訊いた。
「尉玄徳。いつたい卿は、当所の出身の者か、他県から赴任して来たのか」
「されば、自分の郷家は涿県で、家系は、中山靖王の後胤であります。久しく土民の中にひそんでゐましたが、この度漸(やうや)く、黄巾の乱に小功あつて、当県の尉に叙せられた者であります」
と、云ふと
「こらつ、黙れ」
督郵は、突然、高座から叱るやうに呶鳴(どな)つた。
「中山靖王の後胤であるとか云つたな。怪(け)しからん事である。抑々(そも[そも])、この度、帝がわれ[われ]臣下に命じて、各地を巡察せしめられたのは、さういふ大法螺をふいたり、軍功のある者だなどゝ詐(いつは)つて、自称豪傑や、自任官職の輩(やから)が横行する由を、お聞きになられたからである。汝の如き賤しき者が、天子の宗族などゝ詐欺つて、愚民に臨んでをるのは、怪しからぬ不敬である。——直(たゞち)に帝へ奏聞し奉つて、追つての沙汰をいたすであらうぞ。退(さが)れつ」
「………はつ」
「退れ」
「………」
玄徳は、唇をうごかしかけて、何か云はんとするふうだつたが、益なしと考へたか、黙然(モクネン)と礼をして去つた。
「いぶかしい人だ」
彼は、督郵の随員に、そつと一室で面会を求めた。
そして、何で勅使が、御不興なのであらうかと、原因をきいてみた。
随員の下吏(したやく)は、
「それや、あんた知れきつているぢやありませんか、なぜ今日、督郵閣下の前に出る時、賄賂の金帛を、自分の姿ほども積んでお見せしなかつたんです。そしてわれわれ随員にも、それ相当の事を、逸(いち)はやく袖の下からする事が肝腎ですよ。何よりの歓迎というもんですな。ですから云つたでせう督郵様も、いかに遇するか心を見てをるぞよつてね」
玄徳は、啞然として、私館へ帰つて行つた。
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次回 → 十常侍(五)(2023年12月2日(土)18時配信)