第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 秋風陣(九)
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「劉氏(リウうじ)。もし、劉氏ではありませんか」
誰か呼びかける人があつた。
その日、劉玄徳は、朱雋の官邸を訪ねる事があつて、王城内の禁門の辺りを歩いてゐた。
振向いてみると、それは郎中(ラウチウ)張均(チヤウキン)であつた。張均は今、参内する所らしく、従者に輿(こし)を舁(かつ)がせ、それに乗つてゐたが、玄徳の姿を見かけたので、
「沓(くつ)を」
と従者に命じて、輿から身を降してゐた。
「おう、どなたかと思うたら、張均閣下でいらつしゃいました」
玄徳は、敬礼をほどこした。
此人(このひと)はかつて、盧植を陥れた黄門左豊などゝ共に、監軍の勅使として、征野へ巡察に来た事がある。その折、玄徳とも知つて、お互いに世事を談じ、抱懐を話し合つたりした事もある間なので、
「思ひがけない所でお目にかゝりましたな、御健勝のていで、何よりに存じます」
と、久濶を叙べた。
郎中張均は、さういふ玄徳の従者も連れてゐない、而(しか)も、曽(か)つて見た征衣のまゝ、この寒空を、孤影悄然と歩いてゐる様子を怪訝(いぶか)しげに打眺めて、
「貴公は今どこに何をして居られるのですか。少しお痩せになつてゐるやうにも見えるが」
と、かへつて玄徳の境遇を反問した。
玄徳は、有の儘(まゝ)に、何分にも自分には官職がないし、部下は私兵と見なされてゐるので、凱旋の後も、外城より入るを許されず、又、忠誠の兵たちにも、この冬に向つて、一枚の暖かい軍衣、一片の賞禄をも頒(わ)け与へることができないので、せめて外城の門衛に立つていても、霜をしのぐに足る暖衣と食糧とを恵まれんことを乞ふために、けふ朱雋将軍の官宅まで、願書を携へて出向いて来た所です、と話した。
「ほ……」
張均は、驚いた顔して、
「では、足下はまだ、官職にも就(つ)かず、又、こんどの恩賞にもあづかつてゐないんですか」
と、重ねて糺(ただ)した。
「はい、沙汰を待てとの事に、外城の門に屯(たむろ)してゐます。けれどもう冬は来るし、部下が不愍なので、お訴へに出て来たわけです」
「それは初めて知りました。皇甫嵩将軍は、功に依つて、益州の太守に封ぜられ、朱雋は都へ凱旋すると直(たゞち)に車騎将軍となり河南の尹(イン)に封ぜられてゐる。あの孫堅さへ内縁あつて、別部司馬に叙せられたほどだ。——いかに功が無いといつても、貴君の功は孫堅以下ではない。いや或る意味では、こんどの掃匪征賊の戦で、最も苦戦に当つて、忠誠をあらはした軍は、貴下の義軍であつたと云つてもよいのに」
「……」
玄徳の面(おもて)にも、鬱々たるものがあつた。たゞ彼は、朝廷の命なるがまゝに、思ふまいとしてゐるふうだつた。そして部下の不愍を身の不遇以上にあはれと思ひしめて嚙んでいた唇の態であつた。
「いや、よろしい」
やがて張均はつよく云つた。
「それもこれも、思ひ当ることがある。地方の騒賊を掃つても、社稷の鼠巣(ソサウ)を掃はなかつたら、四海の平安を長く保つことはできぬ。賞罰の区々不公平な点ばかりでなく、嘆くべきことが実に多い。——貴君の事については、特に帝へ奏聞しておかう。そのうちに明朗な恩浴を蒙(かうむ)る事もあらうから、まあ気を腐らせずに待つがよい」
郎中張均は、さう慰めて、玄徳とわかれ、やがて参内して、帝に拝謁した。
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次回 → 十常侍(二)(2023年11月28日(火)18時配信)