第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 秋風陣(八)
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その時。
ひゆつと、何処(どこ)か天空で、弦(つる)を放たれた一矢の矢うなりがした。
矢は、東門の望楼の辺(ほとり)から、斜めに線を描いて、怒濤のやうに、われがちと敗走してゆく賊兵の中へ飛んだが、狙ひあやまたず、今しも金蘭橋(キンランキヤウ)の外門まで落ちて行つた賊将孫仲の頸(うなじ)を射ぬき、孫仲は馬上からもんどり打つて、それさへ眼に入らぬ賊兵の足に忽(たちま)ち踏みつぶされたかに見えた。
「あの首、掻取(かきと)つて来い」
玄徳は、部下に命じた。
望楼の傍(わき)の壁上に鉄弓を持つて立ち、目ぼしい賊を射てゐたのは彼であつた。
一方、官軍の朱雋も孫堅も、城中に攻入つて、首を獲(と)ること数万級、各所の火災を鎮め、孫仲、趙弘、韓忠三賊将の首を城外に梟(か)け、市民に布告を発し、城頭の餘燼まだ煙る空に、高々と、王旗を翻(ひるが)へした。
「漢室万歳」
「洛陽軍万歳」
「朱雋大将軍万歳」
南陽の諸郡も、悉(ことごと)く平定した。
彼(か)の大賢良師張角が、戸(コ)毎(ごと)に貼らせた黄いろい呪符もすべて剝がされて、黄巾の兇徒は、まつたく影を潜め、万戸泰平を謳歌するかに思はれた。
然(しか)し、天下の乱は、天下の草民から意味なく起るものではない。むしろその禍根は、民土の低きよりも、廟堂の高きにあつた。川下よりも川上の水源にあつた。政を奉ずる者より、政を司る者にあつた。地方よりも中央にあつた。
けれど腐れる者ほど自己の腐臭には気づかない。又、時流のうごきは眼に見えない。
とまれ官軍は旺(さかん)だつた。征賊大将軍は功なつて、洛陽へ凱旋した。
洛陽の城府は、挙げて、遠征の兵馬を迎へ、市は五彩旗に染まり、夜は万燈に彩(いろど)られ、城内城下、七日七夜といふもの酒の泉と音楽の狂ひと、酔ひどれの歌などで沸くばかりであつた。
王城の府、洛陽は千万戸といふ。さすがに古い伝統の都だけに、物資は富み、文化は絢爛だつた。佳人貴顕たちの往来は目を奪ふばかり美しい。帝城は金壁にかこまれ、瑠璃の瓦を重ね、百官の驢車は、翡翠門に花の淀むやうな雑鬧(ザツトウ)を呈してゐる。天下のどこに一人の飢民でもあるか、今の時代を乱兆と悲しむ所謂(いはれ)があるのか、この殷賑に立つて、旺(さかん)なる夕べの楽音を耳にし、万斛(バンコク)の油が一夜に燈(とも)されるという騒曲の灯の、宵早き有様を眺めれば、むしろ、世を憂へ嘆く者のことばが不思議なくらゐである。
けれど。
廿里の野外、そこに連なる外城の壁からもし一歩出て見るならば、秋は更けて、木も草も枯れ、徒(いたづ)らに高き城壁に、蔓草の離々たる葉のみわづかに紅く、日暮れゝば花々の闇一色、夜暁(あ)ければ颯々の秋風ばかり哭いて、所々の水辺に、寒げに啼く牛の仔と、灰色の空をかすめる鴻の影を時稀(ときたま)に仰ぐくらゐなものであつた。
そこに。
無口に屯(たむろ)してゐる人間が、枯木や草をあつめて焚火をしながら、わづかに朝夕の霜の寒さをしのいでゐた。
玄徳たちの義軍であつた。
義軍は、外城の門の一つに立つて、門番の役を命じられてゐる。
と云へば、まだ体裁はよいが、正規の官軍でなし、官職のない将卒なので、三軍洛陽に凱旋の日も、こゝに停められて、内城から先へは入れられないのであつた。
鴻が飛んでゆく。
野(の)芙蓉に揺らぐ秋風が白い。
「……」
玄徳も関羽も、この頃は、無口であつた。
あはれな卒伍は、まだ洛陽の温(あたゝか)い菜の味も知らない。土龍(もぐら)のやうに、鉄門の蔭に、かゞまつてゐた。
張飛も、黙然(モクネン)と、水洟(みづばな)をすゝつては、時折、ひどく虚無に囚(とら)はれたやうな顔をして、空行く鴻の影を見てゐた。
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次回 → 十常侍(一)(2023年11月27日(月)18時配信)
(なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。)