第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 秋風陣(七)
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「何者か」
と、玄徳等は、やがて近づいて陣門に入るその軍馬を、幕舎の傍(かたはら)から見てゐた。
総勢、約千五百の兵。
隊伍は整然、歩武堂々、
「そもこの精鋭を統(す)べる将はいかなる人物か」
を、それだけでも思はすに足るものだつた。
見てあれば。
その隊伍の真つ先に、旗手、鼓手の兵を立て、続いてすぐ後から、一頭の青驪(セイリ)に跨がつて、威風あたりを払つて来る人がある。
それなんこの一軍の大将であらう。広額(クワウガク)、濶面(クワツメン)、唇は丹(タン)のやうで、眉は峨眉山(ガビサン)の半月のごとく高くして鋭い。熊腰(ユウエウ)にして虎態(コタイ)、いわゆる威あつて猛(たけ)からず、見るからに大人の風を備へてゐる。
「誰かな?」
「誰なのやら」
関羽も張飛も、見まもつてゐたが、程なく陣門の衛将が、名を糺(ただ)すに答へる声が、遠くながら聞えて来た。
「これは呉郡富春(ゴグンフシユン)(浙江省、上海附近)の産で、孫堅(ソンケン)、字(あざな)は文臺(ブンダイ)といふ者です。古(いにしへ)の孫子が末葉であります。官は下邳(カヒ)の丞(ジヨウ)ですが、このたび王軍、黄巾の賊徒を諸州に討つと承つて、手飼の兵千五百を率ゐ、いさゝか年来の恩沢にむくゆべく、官軍のお味方たらんとして馳せ参じた者であります。——朱雋将軍へよろしくお取次を乞ふ」
堂々たる態度であつた。
また、音吐(オント)も朗々と聞えた。
「………」
関羽と張飛は、顔を見合わせた。先には、潁川の野で、曹操を見、今こゝに又、孫堅といふ一人物を見て
「やはり世間はひろい。秀でた人物が居ないではない。たゞ、世の平静なる時は、居ないやうに見えるだけだ」
と、感じたらしかつた。
同じ、その世間を、
「甘くはできないぞ」
といふ気持も抱いたであらう。何しろ、孫堅の入陣は、その卒伍までが、立派だつた。
孫堅の来援を聞いて、
「いや呉郡富春に、英傑ありと、かねてはなしに聞いてゐたが、よくぞ来てくれた」
と、朱雋はなゝめならず欣(よろこ)んで迎へた。
けふさんざんな敗軍の日ではあつたし、朱雋は、大いに力を得て、翌日は、孫堅が准泗(ワイシ)の精鋭千五百をも加へて、
「一挙に」
と、宛城へ迫つた。
即ち、新手の孫堅には、南門の攻撃に当らせ、玄徳には北門を攻めさせ、自身は西門から攻めかかつて、東門の一方は、前日の策のとほり、わざ[わざ]道をひらいておいた。
「洛陽の将士に笑はるゝ勿れ」
と、孫堅は、新手でもあるので、またゝく間に、南門を衝き破り、彼自身も青毛の駒を降りて、濠(ガウ)を越え、単身、城壁へよぢ登つて
「呉郡の孫堅を知らずや」
と賊兵の中へ躍り入つた。
刀を舞はして孫堅が賊を斬ること二十餘人、それに当つて、噴血を浴びない者はなかつた。
賊将の趙弘は、
「ふがひなし。彼奴(きやつ)、何ほどの事やらん」
赫怒して孫堅に名のりかけ、烈戦二十餘合、火をとばしたが、孫堅は飽くまでつかれた色も見せず、忽(たちま)ち趙弘を斬つて捨てた。
もう一名の賊将孫仲は、それを眺めて、かなはじと思つたか、敗走する味方の賊兵の中に紛れこんで、早くも東門から逃げ走つてしまつた。
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次回 → 秋風陣(九)(2023年11月25日(土)18時配信)