第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 檻車(かんしや)(五)
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——檻車は遠く去つた。
叱られて、思ひ止(とど)まつた張飛は、後(うしろ)の山のはうを向いて、見てゐなかつた。
玄徳は、立つてゐた。
「…………」
黙然(モクネン)と、凝視して、遠くなり行く師の檻車を、暗涙の中に見送つてゐた。
「……さ。参りませう」
関羽は、促して、駒を寄せた。
玄徳は、黙々と、騎上の人になつたが、盧植の運命の急変が、よほど精神にこたへたとみえ、
「……噫(あゝ)」
と、猶(なほ)嘆息しては、振向いてゐた。
張飛は、つまらない顔してゐた。彼に取つては、正しい義憤としてやつた事が、計らずも玄徳の怒りを買ひ、義盟の血をすゝり合つてから初めてのやうな叱られ方をした。
官兵共は、それを見て、いゝ気味だといふやうな嘲笑を浴びせた。張飛たるもの、腐らずにゐられなかつた。
「いけねえや、どうも家(うち)の大将は、すこし安物の孔子にかぶれてゐる気味だて」
舌打しながら、彼も黙りこんだまゝ、悄気(シヨゲ)返つた姿を、騎にまかせてゐた。
山峡の道を過ぎて、二州のわかれ道へきた。
関羽は、駒を止めて、
「玄徳様」
と、呼びかけた。
「これから南へ行けば広宗。北へ指してゆけば、郷里涿県の方角へ近づきます。いづれを選びますか」
「元より、盧植先生が囚(とら)はれの身となつて、洛陽へ送られてしまつたからには、義を以てそこへ援軍に赴(ゆ)く意味ももうなくなつた。ひとまづ、涿県へ帰らうよ」
「さうしますか」
「うム」
「それがしも、先刻(さつき)からいろ[いろ]考へてゐたのですが、何(ど)うも、残念ながら、一時郷里へ退(ひ)くしかないであらう——と思つてゐたので」
「転戦、又転戦。——何の功名も齎(もたら)さず、郷家に待つ母上にも、何となく、会はせる顔もないこゝちがするが……帰らうよ、涿県へ」
「はつ。——では」
と、関羽は、騎首を旋(めぐ)らして、後からつゞいて来る五百餘の手兵へ
「北へ、北へ!」
と、指して歩向(ホカウ)の号令をかけ、そして又黙々と、歩みつゞけた。
「あア——、あ、あ」
張飛は、大欠伸(あくび)して、
「いつたい、何の為に、俺たちは戦つたんだい。ちつともわけが分らない。——かうなると一刻もはやく、涿県の城内へ帰つて、市の酒店(さかや)で久しぶりに、猪(いのこ)の股(もも)でも齧(かじ)りながら、うまい酒でも飲みたいものだ」
と、云つた。
関羽は、苦い顔して
「おい[おい]、兵隊の云ふやうな事を云ふな。一方の将として」
「だつて、俺は、ほんとの事を云つてゐるんだ。噓ではない」
「貴様からして、そんな事を云つたら、軍紀が弛(ゆる)むぢやないか」
「軍紀の弛み出したのは、俺のせゐぢやない。官軍々々と、何でも、官軍とさへいへば、意気地なく恐がる人間のせゐだろ」
不平満々なのである。
その不平な気もちは、玄徳にも分つてゐた。玄徳も亦(また)、不平であつたからだ。そして一頃(ひところ)の張り切つてゐた壮志の弛みを何(ど)うしやうもなかつた。彼は、女々しく郷里の母を想ひ出し、又、思ふともなく、白芙蓉(ビヤクフヨウ)の麗しい眉や眼などを、人知れず胸の奥所(おくが)に描いたりして、何となく士気の沮喪した軍旅の虚無と不平をなぐさめてゐた。
すると、突然、山崩れでもしたやうに、一方の山岳で、鬨(とき)の声が聞えた。
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次回 → 檻車(かんしや)(七)(2023年11月13日(月)18時配信)
(なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。)