第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 檻車(かんしや)(三)
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「はゝあ。では、罪人盧植は、貴公の旧師にあたる者か。それは定めし、一目でも会ひたかろうな」
守護の隊将は、玄徳の切な願ひを、肯(き)くともなく、肯かぬともなく、頗るあいまいに口を濁して、
「許してもよいが、公(おほやけ)の役目のてまへもあるしな」
と、意味ありげに呟いた。
関羽は、玄徳の袖をひいて、彼は賄賂を求めてゐるにちがひない。貧しい軍費ではあるが、幾分かを割いて、彼に与へるしかありますまいと云つた。
張飛は、それを小耳に挟むと、怪しからぬ事である。そんな事をしては癖になる。もし肯かなければ、武力に訴へて、盧将軍の檻車へ迫り、御対面なさるがよい。自分が引受けて、警固の奴らは近寄せぬからと云つたが、玄徳は、
「いやいや、かりそめにも、朝廷の旗を奉じてゐる兵や役人へ向つて、左様な暴行はなすべきでない。と云つて、師弟の情、このまま盧将軍と相見ずに別れるにも忍びないから——」
と云つて、若干(なにがし)かの銀を、軍費のうちから出させて、関羽の手からそつと、守護の隊将へ手渡し
「ひとつ、貴郎(あなた)のお力で」
と、折入つて云ふと、賄賂の効目(きゝめ)は、手のひらを返したやうにきいて、隊将は立ち戻つて、檻車を停(とゞ)め、
「暫(しばら)く、休め」
と、自分の率ゐてゐる官兵に号令した。
そしてわざと、彼等は見て見ぬふりして、路傍に槍を組んで休憩してゐた。
玄徳は、騎を下りて、その間に、檻車のそばへ馳け寄り、頑丈な鉄格子へすがりついて
「先生つ。先生つ。玄徳でございます。いつたい、このお姿は、何(ど)うなされた事でござりますぞ」
と、嘆いた。
膝を曲げて、暗澹と、顔を埋(うづ)めた儘(まゝ)、檻車の中に背をまろくしていた盧植は、その声に、はつと眼を向けたが、
「おうつ」
と、それこそ、宛(さなが)ら野獣のやうに、鉄格子のそばへ、跳びついて来て、
「玄徳か……」
と、舌をつらせて顫(わなゝ)いた。
「いゝ所で会つた。玄徳、聞いてくれ」
盧植は、無念な涙に、眼も顔もいつぱいに曇らせながら云ふ。
「実は、かうだ。——先頃、貴公がわしの陣を去つて、潁川のはうへ立つてから間もなく、勅使左豊といふ者が、軍監として戦況の検分に来たが、世事にうといわしは、陣中であるし、天子の使(つかひ)として、彼を迎へるに、餘りに真面目すぎて、他の将軍連のやうに、左豊に献物(ケンモツ)を贈らなかつた。……すると厚顔(あつかま)しい左豊は、我に賄賂(まひなひ)をあたへよと、自分の口から求めて来たが、陣中にある金銀は、皆これ官の公金にして、兵器戦備の費(つひえ)にする物他に私財とてはなし。殊(こと)に、軍中なれば、吏に贈る財物など、何であらうかと、わしは又、真つ正直に断つた」
「……成程」
「すると、左豊は、盧植はわれを恥かしめたりと、ひどく恨んで帰つたさうだが、間もなく、身に覚えない罪名の下(もと)に、軍職を褫奪(チダツ)されてこんな浅ましい姿を曝(さら)して、都へ差立てられる身とはなつてしまうた。……今思へば、わしも餘り一徹であつたが、洛陽の顕官共が、私利私腹のみ肥やして、君も思はず、民を顧みず、たゞ一身の栄利に汲々としてをる状(さま)は、想像のほかだ。実に嘆かはしい。こんな事では、後漢の霊帝の御世も、怖らく長くはあるまい。……あゝ何(ど)う成りゆく世の中やら」
と、盧植は、身の不幸を悲しむよりも、さすがに、より以上、上下乱脈な世相の果(はて)を、痛哭するのであつた。
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次回 → 檻車(かんしや)(五)(2023年11月10日(金)18時配信)