第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 檻車(かんしや)(二)
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大きな鉄格子の檻である。車がついてゐるので驢に曳(ひ)かせる事ができる。まはりには、槍や棒を持つた官兵が、怖い目をしながら警固して来る。
その前に百名。
その後(うしろ)に約百名。
檻車を真ん中にして、七旒(シチリウ)の朝旗は山風に翻(ひるが)へつてゐた。そして、檻車の中に、揺られて来るのは、熊でも豹でもなかつた。膝を抱いて、天日に面(おもて)を俯せてゐる、あはれなる人間であつた。
ばら[ばら]つと、先頭から、一名の隊将と、一隊の兵が、馳け抜けて来て、玄徳の一行を、頭から咎めた。
「こらつ、待てつ」
と言うたふうにである。
張飛も、ぱつと、玄徳の前へ駒を躍らせて、万一を庇(かば)ひながら
「何だつ、虫螻(むしけら)」
と、云ひ返した。
云はずともよい言葉であつたが、潁川以来、とかく官兵の空威(からゐ)ばりに、業腹(ごふはら)の煮えてゐたところなので、つい口を衝(つ)いて出てしまつたのである。
石は石を打つて、火を発した。
「何だと、官旗に対して、虫螻と云つたな」
「礼を知るを以て人倫の始まりと云ふ。礼儀をわきまへん奴は、虫けらも同然だ」
「だまれ、われわれは、洛陽の勅使、左豊卿(サホウキヨウ)の直属の軍だ。旗を見よ。朝旗が見えんか」
「王城の直軍とあれば、猶更の事である。俺たちも、武勇奉公を任じる軍人だ。私軍といへど、この旗に対し、こらつ待てとは何だ。礼を以て問へば、こちらも礼を以て答へてやる。出直して来い」
丈八の蛇矛を斜(シヤ)に構へて、刮(くわ)つとにらみつけた。
官兵は縮み上がつたものゝ、虚勢を張つたてまへ、退(ひ)きもならず、生唾をのんでゐた。玄徳は、眼じらせて、関羽にこの場を扱ふやうに促した。
関羽は、心得て
「あいや、これは潁川の朱雋・皇甫嵩の両軍に参加して、これより広宗へ引つ返して参る涿県の劉玄徳の手勢でござる。ことばの行きちがひ、この漢(カン)の短慮はゆるし給へ。——就(つい)ては又、貴下の軍は、これより何処(いづこ)へ参らるゝか。そして、あれなる檻車にある人間は、賊将の張角でも生擒(いけど)つて来られたのであるか」
詫びるところは詫び、糺(ただ)すところは筋目を糺して、質問した。
官兵の隊将は、それに、ほつとした顔つきを見せた。張飛の暴言も薬にはなつたとみえ、今度は丁寧に
「いやいや、あれなる檻車に押込めて来た罪人は、先頃まで、広宗の征野にあって、官軍一方の将として、洛陽より派遣せられてゐた中郎将盧植でござる」
「えっ、盧植将軍ですつて」
玄徳は、思はず、驚きの声を放つた。
「されば。吾々には詳しい事も分らぬが、今度勅命にて下られた左豊卿が、各地の軍状を視察中、盧植の軍務ぶりに不届きありと奏された為、急に盧植の官職を褫奪(チダツ)され、これよりその身がらを、一囚人として、都へ差し立てゝ行く途中なので——」
と語つた。
玄徳も、関羽も、張飛も
「噓のような……」
と、茫然たる面を見あはせた儘(まゝ)、暫(しば)し言ふことばを知らなかつた。
玄徳はやがて
「実は、盧植将軍は、自分の旧師にあたるお人なので、ぜひ共(とも)一目(ひとめ)、お別れをお告げ申したいが、何とか許してもらへまいか」
と、切に頼んだ。
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次回 → 檻車(かんしや)(四)(2023年11月9日(木)18時配信)