第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 檻車(かんしや)(一)
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駒を並べて来る関羽と張飛とはまだ朱雋の無礼を思ひ出して、時時、腹が立つて来るものとみえ、官軍の風紀や、洛陽の都士人の軽薄を、頻(しき)りに声を大にして罵つてゐた。
「およそ嫌なものは、官爵を誇つて、朝廷の御威光を、自分の偉さみたいに、思ひ上がつてゐる奴だ。天下の紊(みだ)るゝは、天下の紊れに非ず、官の廃頽(ハイタイ)に拠るといふが、洛陽育ちの役人や将軍のうちには、あんなのが沢山ゐるのだらうて」
と、関羽が云へば
「さうさ。俺はよツぽど、朱雋の面へ、ヘドを吐きかけてやらうと思つたよ」
と張飛も云ふ。
「はゝゝゝ。貴公のヘドをかけられたら、朱雋も驚いたらうな。然(しか)し彼一人が官僚臭の鼻もちならぬ人間といふわけではない。漢室の廟堂そのものが腐敗してゐるのだ。彼は、その中に棲息してゐる時代人だから、その悪弊を持つてゐるに過ぎない」
「それやあ分つてゐるが、とにかく俺は、目前の事実を憎むよ」
「いくら黄匪を討伐しても、中央の悪風を粛正しなければ、ほんとのよい時代はやつて来まいな」
「黄巾の賊は猶(なほ)討つに易し。廟堂の鼠臣(ソシン)は遂に趁(お)ふも難し——か」
「その通りだ」
「考へれば考へるほど、俺たちの理想は遠い——」
道をながめ、空を仰ぎ、両雄は嘆じ合つてゐた。
少し前へ立つて、馬を進めてゐた玄徳は、二人の声高なはなしを先刻から後ろ耳で聞いてゐたが、その時、振顧(ふりかへ)つて、
「いや[いや]両人、そう一概に云つてしまつたものではない。洛陽の将僚のうちにも、立派な人物は乏しくない」
と、云つた。
玄徳は、言葉をつゞけて、
「たとへば先頃、野火の戦野で出会つて挨拶を交した——赤備への一軍の大将、孟徳曹操などゝいふ人物は、まだ若いが、人品といひ、言語態度といひ、寔(まこと)に見あげたものだつた。叡智の才を、洛陽の文化と、武勇とに磨いて、一箇の人格に飽和させてゐるところ彼など、真に官軍の将僚といつて恥かしからぬ者であらう。あゝいふ武将といふものは、やはり郷軍や地方の草莽のなかには見当らないと思ふな」
と、賞(ほ)めたゝへた。
それには、張飛も関羽も、同感であつたが、浪人の通有性として官軍とか官僚とかいふと、先づその人物の真価を観るより先に、その色や臭ひを嫌悪してかゝるので、玄徳にさう云はれる迄(まで)は、特に、曹操に対しても、感服する気にはなれなかつたのである。
「ヤ。旗が見える」
そのうちに、彼等の部下は、かう云つて指さし合つた。玄徳は、馬を止めて
「何が来るのだろうか」
と、関羽を顧みた。
関羽は、手をかざして、道の前方数十町の先を、眺めてゐた。そこは山陰になつて、山と山との間へ道が蜿(うね)つてゐるので、太陽の光も陰り、何やら一団の人間と旗とが、此方(こつち)へさして来るのは分るが官軍やら黄巾賊の兵やら——又、地方を浮浪してゐる雑軍やら、見当がつかなかつた。
だが、次第に近づくに従つて、漸(やうや)く旗幟がはつきり分つた。関羽が、それと答へた時には、従ふ兵等も口々に云ひ交してゐた。
「朝旗をたてゝゐる」
「アア。官軍だ」
「三百人ばかりの官軍の隊」
「だが、をかしいぞ、熊でも捕まへて入れて来るのか、檻車(カンシヤ)を曳(ひ)いて来るぢやないか」
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次回 → 檻車(かんしや)(三)(2023年11月8日(水)18時配信)