第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 転戦(七)
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義はあつても、官爵はない。勇はあつても、官旗を持たない。そのために玄徳の軍は、どこ迄(まで)も、私兵としか扱はれなかつた。
(よく戦つてくれた)
と、恩賞の沙汰か、犒(ねぎら)ひの言葉でもあるかと思ひのほか、休む遑(いとま)もなく
(こゝはもうよいから、広宗の地方へ転戦して、盧将軍を援(たす)けにゆけ)
という朱雋の命令には、玄徳は素直な質(たち)なので、承知して戻つたが、関羽も、張飛も、それを聞くと
「え。すぐに此処を立てといふんですか」
と、憤(む)つとした顔色(ガンシヨク)だつた。殊(こと)に張飛は、
「怪しからん沙汰だ。いかに官軍の大将だからといつて、そんな命令を、おうけして来る法があるものか。昨夜から悪戦苦闘してくれた部下にだつて、気の毒で、そんな事が云へるものか」
と、激昂し
「長兄は、大人しいもんだから、洛陽の都会人などの眼から見ると舐めやすいのだ。拙者が懸合つてくる」
と、剣を摑んで、朱雋の本営へ出かけさうにしたので、玄徳よりは、同じ不快を怺(こら)へてゐた関羽が
「まあ待て」
と、極力抑へた。
「こゝで、腹を立てたら、折角、官軍へ協力した意義も武功も、みな水泡に帰してしまふ。都会人て奴は、元来、吾儘(わがまゝ)で思ひ上がつてゐるものだ。然(しか)し、黙つてわれ[われ]が国事に尽してゐれば、いつか誠意は天聴にも達するだらう。眼前の利慾に怒るのは小人の業(わざ)だ。われわれは、もつと高い理想に向つて起つはずぢやないか」
「でも癪(シヤク)にさはる」
「感情に負けるな」
「無礼なやつだ」
「分つた。分つた。もうそれでいいだらう」
漸(やうや)く宥めて、
「劉兄。お腹も立ちませうが、戦場も世の中の一部です。広い世の中としてみればこんな事はありがちでせう。即刻、この地を引揚げませう」
ついでに関羽は、玄徳の憂鬱をもさう云つて慰めた。
玄徳は元より、さう腹も立つてゐない。怺へるとか、堪忍とか、二人は云つてゐるが、彼自身は、生来の性質が微温的にできてゐるのか、実際、朱雋の命令にしてもさう無礼とも無理とも思へないし、怒る程に、気色を害されてもゐなかつたのである。
兵には、一睡させて、せめて食糧もゆつくり摂(と)らせて、夜半から玄徳は、そこの陣地を引払つた。
きのふは西に戦ひ。
けふは東へ。
毎日、五百の手勢と、行軍をつづけてゐても、私兵のあぢけなさを、沁々(しみ[じみ])思はずにゐられなかつた。
部落を通れば、土民までが馬鹿にする。——その土民等(ら)を賊の虐圧と、悪政の下から救つて、安心楽土の幸福な民としてやらうといふ此軍の精神であるのに——その見すぼらしい雑軍的な装備を見て
「何ぢや。官軍でもなし、黄巾賊でもないのが、ぞろ[ぞろ]通りよる」
などゝ、陽なたに手をかざし合つて、嘲弄するやうな眼をあつめながら見物してゐた。
けれど、先頭の玄徳、張飛、関羽の三人だけは、人目をひいた。偉風が道を払つた。土民等の中には土下座して拝する者もあつた。
拝されても、嘲弄されても、玄徳はいづれにせよ、気にかけなかつた。自分が畑に働いてゐた頃の気持を以て、土民の気持を理解してゐるからだつた。
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次回 → 檻車(かんしや)(二)(2023年11月7日(火)18時配信)