第一回 → 黄巾賊(一)
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盧植が云ふには。
——抑(そも[そも])、この地方は、嶮岨が多くて、守る賊軍に利があり、一気に破らうとすれば、多大に味方を損じるので、心ならずも、かうして長期戦を張つて、長陣をしてゐる理(わけ)であるが、折入つて、貴下に頼みたいといふのは、賊の総大将張角の弟で張宝、張梁のふたりは目下、潁川(安徽省・開封の西南)のはうで暴威を振つている。
その方面へは、やはり洛陽の朝命をうけて、皇甫嵩(クワウホスウ)、朱雋(シユシユン)の二将軍が、官軍を率ゐて討伐に向つている。
こゝでも勝敗決せず、官軍は苦戦してゐるが、わが広宗の地よりも、戦ふに益が多い。ひとつ貴下の手勢をもつて、急に援軍に赴いてもらへまいか。
賊の張梁、張宝の二軍が敗れたりと聞えれば、自然、広宗の賊軍も、戦意を喪失し、退路を断たれることを惧(おそ)れて、潰走し始める事と思ふ。
「玄徳殿。行つてもらへまいか」
盧植の相談であつた。
「承知しました」
玄徳は、元より義をもつて、旧師を援けに来たので、その旧師の頼みを、すげなく拒む気にはなれなかつた。
即刻、軍旅の支度をした。
手勢五百に、盧植からつけてくれた千餘の兵を加へ、総勢千五百ばかりで、潁川の地へ急いだ。
陣地へ着くと、さつそく官軍の将、朱雋に会つて、盧植の牒文(テフブン)を示し
「お手伝ひに参つた」
とあいさつすると、
「はゝあ。何処で雇はれた雑軍だな」
と、朱雋は、至極冷淡な応対だつた。
そして、玄徳へ、
「まあ、せいぜい働き給へ。軍功さへ立てれば、正規の官軍に編入されもするし、貴公等にも、戦後、何か地方の小吏ぐらゐな役目は仰せつかるから」
などとも云つた。
張飛は
「ばかにしてをる」
と怒つたが、玄徳や関羽でなだめて、前線の陣地へ出た。
食糧でも、軍務でも、又応待でも、冷遇はするが、与へられた戦場は、最も強力な敵の正面で、官軍の兵が、手をやいてゐるところだ。
地勢を見るに、こゝは広宗地方とちがつて、いちめんの原野と湖沼だつた。
敵は、折からの、背丈の高い夏草や野黍(のきび)のあひだに、虫のやうにかくれて、時々、猛烈な奇襲をして来た。
「さらば。一策がある」
玄徳は、関羽と張飛に、自分の考へを告げてみた。
「名案です。長兄は、抑(そも[そも])、いつのまにそんなに、孫呉の兵を会得してをられたんですか」
と、二人とも感心した。
その晩。二更の頃
一部の兵力を、迂廻(ウクワイ)させて、敵のうしろに廻し、張飛、関羽等は、真つ暗な野を這つて、敵陣へ近づいた。
そして、用意の物に、一斉に火を点じると
「わあつ」
と、鬨(とき)の声をあげて、炎の波のやうに、攻めこんだ。
かねて、兵一名に、十把づつの松明(たいまつ)を負はせ、それに火をつけて、雪崩(なだ)れこんだのである。
寝ごみを衝かれ、不意を襲はれて、右往左往、あわて廻る敵陣の中へ、投げ松明の光りは、花火のやうに舞ひ飛んだ。
草は燃え、兵舎は焼け、逃げくづれる賊兵の軍衣にも、火がついて居ないのはなかつた。
すると彼方から、一彪(イツペウ)の軍馬が、燃えさかる草の火を蹴つて進んで来た。見れば、全軍みな紅(くれなゐ)の旗をさし、真つ先に立つた一名の英雄も、兜、鎧、剣装、馬鞍、総(すべ)て火よりも赤い姿をしてゐた。
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次回 → 転戦(七)(2023年11月3日(金)18時配信)