第一回 → 黄巾賊(一)
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「推参なり、野鼠の将」
玄徳は、賊将程遠志の前に駒を止めて、彼のうしろに犇(ひし)めく黄巾賊の大軍へも、轟けとばかり言つた。
「天地ひらけて以来、まだ獣族の長く栄えたる例はなし。たとひ、一時は人政を紊(みだ)し、暴力をもつて権を奪ふも、末路は野鼠の白骨と変るなからん。——醒めよ、われは、日月の幡(はた)を高くかゝげ、暗黒の世に光明をもたらし、邪を退け、正を明らかにするの義軍、いたづらに立ち向つて、生命(いのち)をむだに落すな」
聞くと、程遠志は声をあげて大笑し、
「白昼の大寝言、近ごろおもしろい。醒めよとは、うぬ等(ら)のこと。いで」
と、重さ八十斤と称する青龍刀をひツさげ、駒首をどらせて、玄徳へかゝつて来た。
玄徳は元より武力の猛将ではない。泥土を揚げて、蹄を後(うしろ)へ返す。その間へ、待ちかまへてゐた張飛が、
「この下郎つ」
おめきながら割つて入り、先ごろ鍛(う)たせたばかりの丈餘の蛇矛(ジヤボウ)——牙形(きばがた)の大矛(おおぼこ)を先に付けた長柄を舞はして、賊将程遠志の盔(かぶと)の鉢金から馬の背骨に至るまで斬り下げた。
「やあ、おのれよくも」
賊の副将鄧茂は、乱れ立つ兵を励ましながら、逃げる玄徳を目がけて追ひかけると、関羽が早くも騎馬をよせて、
「豎子(ジユシ)つ、何ぞ死を急ぐ」
虚空に鳴る偃月刀の一揮(イツキ)、血けむり呼んで、人馬共に、関羽の葬るところとなつた。
賊の二将が打たれたので、残餘の鼠兵(ソヘイ)は、あわて乱れて、山谷のうちへ逃げこんでゆく。それを、追つて打ち、包んでは殲滅して賊の首を挙げること一万餘。降人は容れて、部隊にゆるし、首級は村里の辻に梟(か)けならべて、
——天誅は斯(かく)の如し。
と、武威を示した。
「幸先(さいさき)はいゝぞ」
張飛は、関羽に云つた。
「なあ兄貴、この分なら、五十州や百州の賊軍ぐらゐは、半歳のまに片づいてしまふだらう。天下はまたゝく間に、俺たちの旗幟によつて、日月照々だ。安民楽土の世となるに極(きま)つてゐる。愉快だな。——然(しか)し、戦争がさう早く無くなるのが少しさびしいが」
「ばかをいへ」
関羽は、首をふつた。
「世の中は、さう簡単でないよ。いつも戦はこんな調子だと思ふと、大まちがひだぞ」
大興山を後にして、一同はやがて幽州へ凱旋の轡(くつわ)をならべた。
太守劉焉は、五百人の楽人に勝利の譜を吹奏させ、城門に旗の列を植ゑて、自身、凱旋軍を出迎へた。
ところへ。
軍馬のやすむ遑(いとま)もなく、青州の城下(山東省済南の東・黄河口)から早馬が来て、
「大変です。すぐ援軍の御出馬を乞ふ」
と、ある。
「何事か」
と、劉焉が、使(つかひ)の齎(もたら)した牒文をひらいてみると、
当地方ノ黄巾ノ賊徒等
県郡ニ蜂起シテ雲集シ
青州ノ城囲マレ終ンヌ
落焼ノ運命已ニ急ナリ
タダ友軍ノ来援ヲ待ツ
青州太守龔景(ケウケイ)
と、あつた。
玄徳は、又進んで、
「願はくば行(ゆ)いて援(たす)けん」
と申し出たので、太守劉焉はよろこんで、校尉鄒靖の五千餘騎に加へて、玄徳の義軍にその先鋒を依嘱した。
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次回 → 転戦(四)(2023年10月31日(月)18時配信)