ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 琴を弾く高士(三)
***************************************
童子が来て、質素な酒食を玄徳に供へた。司馬徽も、食事を伴(とも)にし、やがて、
「お疲れであらう。まあ、こよひは臥房(ふしど)へ入つておやすみなさい」
と、すゝめた、
「では、おことばに甘へて」
と、玄徳は、別の部屋へはいつたが、枕に頭(かしら)をつけても、なかなか寝つかれなかつた。
そのうちに、深夜の静寂(しゞま)を破つて、馬のいななきが聞え、屋(いへ)の後(うしろ)のはうで人の気はいや戸の音がする。
「……はてな?」
風の音にも心をおく身である。思はず耳をすましてゐた。
屋(いへ)は手(て)狭(ぜま)なので、裏口から主(あるじ)の部屋へ入つて行く沓(くつ)音(おと)までよく聞える。
「やあ、徐元直(ジヨゲンチヨク)ではないか。いま頃、如何して来たのか」
主の司馬徽が声であつた。
それに答へたのは、壮年らしい錆(さび)のある声色の持主で、
「いや先生。実は荊州へ行つてゐました。荊州の劉表は近頃の名主なりと、或る者から聞いたので、行つて仕へてゐましたが、聞くと看るとは、大きな違ひ、〔から〕駄目な太守です。すぐ嫌気がさして来ましたから、邸へ遺書(かきおき)をのこして逃げて来たわけです。あはゝゝ。夜逃げですな」
磊落(ライラク)に笑つたが、しばらく間(ま)をおいて、また司馬徽の声がした。その壮気の持主を、厳格な語気で叱つてゐるのである。
「なに、荊州へ参つたとか。さてさて、汝にも似げない浅慮(あさはか)な。——いまのやうな時代には、賢愚混乱して、瓦が珠と化けて仕へ、珠は瓦礫(グワレキ)の下にかくされ、掌(て)に乗するも、人に識別なく、脚に踏むも、世はこれを見ないのが通例ぢや。——汝、王佐の才をいたゞきながら、深く今日の時流も認識せず、自然に出づべき時も待たず、劉表ごときへ身を売(うり)込んで、却(かへ)つて己れを辱しめ、仕官を途中にして逃げ去るなどとは何事だ。どう贔屓目に見ても褒められた事ではない。もう少し自分を大事にせねばいかん」
「恐れ入りました。重々拙者の軽率に相違ございません」
「古人(コジン)子貢(シコウ)の言葉にもある——ココニ美玉アリ、匱(ヒツ)ニ収(ヲサ)メテ蔵(カク)セリ、善(ヨキ)価(アタヒ)ヲ求メテ沽(ウ)ラン哉(カナ)——と、」
「大事にします。これからは」
間もなく、客は帰つたらしい。
玄徳は夜の明けるのを待つて、司馬徽にたづねた。
「昨夜の客は、何処の者ですか」
「〔むむ〕、あれか。——あれは多分、良い主君を求める為、もう他国へ出かけたらう」
「さうですか。……時に、昨日先生の仰せられた臥龍鳳雛とは一体どこの誰の事ですか」
「いや。好々(よし/\)」
玄徳は、やにはに彼の脚下(カクカ)へひざまづいて、再拝しながら、
「玄徳、不才ではありますが、望むらくは、先生を請(シヤウ)じ、新野へ伴ひ参らせて、共に、漢室を興し、万民を扶(たす)け、今日の禍乱を鎮めんと存じますが……」
云ひも敢(あへ)ず、司馬徽はから/\と笑つて、
「愚叟(グサウ)は山野の閑人(カンジン)に過ぎん。わしに十倍百倍もするやうな人物が、いまに必ず将軍を、お扶けするぢやらう。いや、さういふ人物をば、精々尋ねられたがよい」
「では、天下の臥龍を?」
「好々(よし/\)」
「それとも鳳雛をですか?」
「好々」
玄徳は必死になつて、その人の名と所在を訊き糺(たゞ)さうとしたが、そのとき童子が馳けこんで来て、
「数百人の兵をつれた大将が、家の外を取り囲みましたよ!」
と、大声(おほごゑ)して告げた。
玄徳が出てみるとそれは趙雲の一隊だつた。漸く、主君玄徳の行方を知つて、これへ迎へに来たものであつた。
***************************************
次回 → 吟嘯(ぎんせう)浪士(らうし)(一)(2025年7月10日(木)18時配信)