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主従は相見て、狂喜し合つた。
「おう、趙雲ではないか。どうして、わしがこゝに居るのが分つた」
「御無事なお姿を拝して、ほつと致しました。この村まで来ると、昨夜、見馴れぬ高官が、童子に誘(いざな)はれて、水鏡先生のお宅へ入つたと、百姓共から聞きましたので、さてはと、驀(まつしぐ)らにお迎へに来たわけです」
主の司馬徽も、そこへ来て、共に歓びながら、かう注意した。
「百姓たちの噂にのぼつては、ここに長居も危険です。部下の方々の迎へに見えられたこそ幸、速(すみや)かに新野へお立ち帰りあれ」
実(げ)にもと、玄徳はすぐ暇(いとま)を告げて、水鏡先生の草庵を去つた。そして十数里ほど来ると、飛ぶが如く一手の軍勢の来るのに出会つた。
趙雲と同じやうに、夜来、玄徳の身を案じて、狂奔してゐた張飛と、関羽の一軍であつた。
かくて、新野へ帰ると、玄徳は城中の将士を一堂に集めて、
「皆の者に、心配をかけて済まなかつた。実は昨日、襄陽の会で、蔡瑁のため、危く謀殺されようとしたが、檀渓を跳んで、九死に一生を拾つて帰つたやうな始末……」
と、有りし顚末(テンマツ)をつぶさに物語つた。
愁眉(シウビ)をひらいた彼の臣下は、同時に、蔡瑁を憎み憤つた。
「おそらく、劉表は、何も知らない事に違ひありません。あなたを殺す計画に失敗した蔡瑁は、自己の罪を蔽(おほ)ふために、こんどは如何なる讒訴(ザンソ)を劉表へするかも知れたものではない。こちらからも早く、有りし次第を、明白に訴へておかなければ、いよ/\彼奴(きやつ)の乗ずるところとなりませう」
孫乾(ソンケン)の説であつた。
大いに理由がある。一同も彼の言を支持したので、玄徳は早速一書をしたゝめ、孫乾(ソンケン)にさづけて荊州へ遣(つか)はした。
劉表は、玄徳の書簡を見て、襄陽の会が蔡瑁の陰謀に利用され終つたことを知り、以(もつ)てのほかに立腹した。
「蔡瑁を呼べつ」
いつにない激色である。そして蔡瑁が階下に拝をなすや否、頭から襄陽の会の不埒(フラチ)を〔なじつ〕て武士たちに、彼を斬れと命じた。
蔡夫人は、兄の蔡瑁が召し呼ばれたと聞いて、後閣から馳け転ぶやうにこれへ来た。そして良人の劉表へ極力、命乞ひをした。妹の涙で蔡瑁は助けられた。孫乾(ソンケン)もまた、
「もし、御夫人の兄たるお方を、お手(て)討(うち)になどされたら、主君玄徳は、却(かへ)つて二度と荊州へ参らないかも知れません」
と、側から口添へしたので、劉表も彼を免(ゆる)すに免しよかつた。
けれど劉表は、なほ心が済まなかつた。孫乾の帰るとき、嫡子の劉琦を共に新野へやつて、深く今度の事を謝罪した。
玄徳は、却(かへ)つて痛み入るおことばと、劉琦に厚く答礼した。その折、劉琦は〔ふと〕、日頃の煩悶(ハンモン)を彼に洩らした。
「継母の蔡夫人は、弟の琮を世継(よつぎ)に立てたいため、なんとかして、私を殺さうとしてゐます。一体、どうしたらこの難をのがれることができませうか」
「ただよく孝養をおつくしなさい。いかに御継母であらうと、あなたの至孝が通じれば、自然禍は去りませう」
あくる日、琦が荊州へ帰る折、玄徳は駒をならべて、城外まで送つて行つた。琦は、荊州へ帰るのを、いかにも楽しまない容子であつた。それを玄徳がやさしく慰めれば慰めるほど、涙ぐんでばかりゐた。
琦を送つて、その帰り途、玄徳が城中へ入らうとして、町の辻まで来ると布の衣に、一剣を横たへ頭(かしら)に葛の頭巾をいたゞいた一人の浪士が、白昼、高らかに何か吟じながら歩いて来た。
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次回 → 吟嘯浪士(二)(2025年7月11日(金)18時配信)