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玄徳は、黙考してゐた。司馬徽の言に、服するが如く、服せざるが如く、暫(しば)しさし俯(うつ)向(む)いてゐたが、やがて面(をもて)(ルビママ)をあげて、
「先生の言は至極(シゴク)御(ご)尤(もつと)もではありますが、要するに、餘りに、先生の理想であつて、現実を離れてゐるきらひがありはしないでせうか。不肖わたくしも、身を屈して、山野に賢人を求めること多年ですが、今の世に、張良(チヤウリヨウ)、蕭何(セウカ)、韓信(カンシン)のやうな人物を望むはうが無理だと思ひます。そんな俊傑が隠れてゐるはずはありませんから」
と、真摯な態度で酬(むく)いた。
すると、司馬徽は、聞きもあへず、面(をもて)(ルビママ)を振つて、
「否々(いな/\)。いつの時代でも、決して人物が皆無ではない、たゞそれを真に用ふる具眼者がゐないのぢや。孔子も曰(い)つてゐるではないか。——十室ノ邑(ムラ)ニハ必ズ忠信ノ人アリ——と。何でこの広い諸国に俊傑がゐないといへよう」
「不肖、愚昧のせゐか、それを識(し)る眼がありません。ねがはくば、御教示を垂れたまへ」
「ちかごろ諸方で謡(うた)ふ小児の歌をお聞きにならぬか。童歌はかう曰(い)つてゐる……
八九年間始メテ衰へント欲ス
十三年ニ至ツテ孑遺(ケツイ)無(ナ)ケン
到頭天命帰ス所アリ
泥中ノ蟠龍(ハンリウ)天ニ向ツテ飛ブ
これをあなたは何(ど)う判じられるか?……」
「さあ、分りませんが」
「建安の八年、太守劉表は、前の夫人を亡くされた。荊州の亡兆ここに起り、家始めて乱れ出したのです。十三年に至つて孑遺無けん——とあるは、劉表の死去を豫言してゐるものでせう。そして天命帰する所ありです。——天命帰するところあり!」
司馬徽は繰(くり)かへして、玄徳の面を正視し、かさねて云つた。
「——帰するところ何処(いづこ)?すなはち貴方(あなた)しかない。将軍、あなたは天命に選ばれた身であることを、自身、自覚されておいでかの?」
玄徳は大きな眼をしてさも驚いたやうに、
「滅相もない仰せ。いかでか私のやうな者が、そんな大事に当ることができませう」
「さうでない。さうでない」
司馬徽は穏(おだや)かに否定して、
「いま天下の英才は、こと/゛\くこの地に集まつてをる。襄陽の名士また、ひそかに卿(ケイ
)の将来に期待してをる。この機運に処し、この人を用ひ、よろしく大業の基礎を計られたがよい」
「いかなる人がをりませうか。その名を、お聞かせ下さい」
「臥龍(グワリウ)か、鳳雛(ホウスウ)か。そのうちの一人を得給へば、おそらく、天下は掌(たなごゝろ)にあらう」
「臥龍、鳳雛とは?」
思はず、身を前にのり出すと、司馬徽はふいに手を打つて、
「好々(よし/\)。好々」
と、云ひながら笑つた。
玄徳は、彼の唐突な奇言には、戸惑ひしたが、これはこの高士の癖であることを後で知つた。
日常、善悪何事にかゝはらず司馬徽は、極(きま)つて、
(好々)
と、いふのが癖だつた。
或(ある)時(とき)、知人が来て、悲しげに、自分の子の死んだ由を告げると、司馬徽は相変らず、好々とのみ答へてゐた。知人の帰つたあとで、彼の妻が、
(いくらあなたのお癖とはいへ、お子さんを亡くした人にまで、好好とは、餘りではございませんか)
と、たしなめた。すると司馬徽も、われながら可笑(をか)しくなつたとみえ、好々。おまへの意見も、大いに好々。
と云つたさうである。
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次回 → 琴を弾く高士(四)(2025年7月9日(水)18時配信)