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あゝさては——これが司馬徽、道号を水鏡先生といふ人か。
玄徳は身をすゝめて、
「お召仕への童子の案内に従ひ、はからず御尊顔を拝す。私としては、歓びこの上もありませんが、御静居を躁(さわ)がせた罪は、どうぞおゆるし下さい」
と、慇懃(インギン)、礼をほどこして詫びた。
すると、童子が傍(かたは)らから、
「先生、この方が、いつも先生やお友達がよく噂しておいでになる劉玄徳といふお人ですよ」
と、告げた。
司馬徽は非常におどろいた態(テイ)である。恭しく礼を返して、草堂の内に迎へ入れ、改めて賓主の席を頒(わか)ち、さて、
「ふしぎな御対面ではある」
と、こよひの縁を喞(かこ)ち合つた。
塵外の住居とはかういふものかと、玄徳はその辺りを見(み)廻(ま)はしてそゞろ司馬徽の生活を床(ゆか)しく思つた。架上には万巻の詩書経書を積み、窓外には松竹を植ゑ、一方の石床(セキシヤウ)には一鉢の秋蘭が薫り、また一面の琴がおいてある。
司馬徽は、玄徳の衣服が濡れてゐるのを見て、やがて訊ねた。
「今日はまた、何(ど)うした御災難にお遭ひなされたのぢや。おさしつかへ無くば聞かせて下さい」
「実は檀渓を跳んで、九死の中を遁(のが)れて来ましたので、衣服もこんなに湿(うるほ)うてしまひました」
「あの檀渓を越えられたとすれば、よほどな危険に追ひつめられたものでせう。うはさ通り、今日の襄陽の会は、やはり単なる慶祝の意味ではなかつたとみえますな」
「あなたのお耳にも、すでにそんな風説が入つてをりましたか……実はかういふ次第でした」
玄徳がつゝまず物語ると、司馬徽は幾度か頷(うなづ)いて——さもあらんといはぬばかりの面持(おももち)であつたが
「ときに、将軍にはたゞ今、どういふ官職におありですかな」
「左将軍(サシヤウグン)宜城亭侯(ギジヤウテイコウ)、豫州の牧を兼ねてをりますが」
「さすれば、すでに立派な朝廷の藩屛(ハンペイ)たる一人ではおざらぬか。然(しか)るに、何で区々たる他人の領に奔命し、つまらぬ小人の奸計に追はれて徒(いたづら)に心身を疲らせ、空しく大事なお年頃を過したまふか」
滲々(しみ/゛\)、司馬徽は云つて、
「……惜(をし)いかな」
と、あとは口うちで呟(つぶや)いた。
玄徳は、面目無げに、
「——時の運は如何ともいたし難い。事(こと)志(こゝろざし)と違(たが)ふ為に」
と、答へた。
すると司馬徽は、顔を振つて打(うち)笑ひながら、
「否々(いな/\)、運命の〔せゐ〕にしてはいけない。よく顧み給へ。わしをして忌憚(キタン)なく云はしめるなら、将軍の左右に、良い人がゐないためだと思ふ」
「こは意外な仰せです。玄徳は不肖の主ながら、生死を一つに誓ふ輩(ともがら)には、文に孫乾(ソンカン)、糜竺、簡雍あり、武には関羽、張飛、趙雲あり。決して人なしとは思はれません」
「あなたは元来、家来思ひな御主君ぢや。故に、家臣に人なしと云はれると、すぐその通り家臣を庇(かば)ふ。君臣の情に於(おい)ては寔(まこと)に美(うる)はしゆう見ゆるが、主君として、それのみで足るものではない。——箇々その文事や勇気の長を愛(め)でるに止(とゞ)まらず、自分自身も加へて、一団体としてよく自己を御覧ぜられよ。なほ何等か、不足してゐる力はないか」
と、問ひつめて、更に、
「関羽、張飛、趙雲の輩(ともがら)は、一騎当千の勇ではあるが、権変の才はない。孫乾、糜竺、簡雍たちも、いはゞ白面の書生で、世を救ふ経綸の士ではない。かゝる人々を擁して、豈(あに)王覇(おうは)の大業が成らうか」
と、極言した。
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次回 → 琴を弾く高士(三)(2025年7月8日(火)18時配信)