ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 檀渓を跳ぶ(四)
***************************************
澄み暮れてゆく夕空の無辺は、天地の大と悠久を思はせる。白い星、淡い夕月——玄徳は黙々と広い野をひとり彷徨(さまよ)つてゆく。
「ああ、自分も早、四十七歳となるのに、この孤影、いつまで無為飄々たるのか」
ふと、駒を止めた。
茫乎(バウ)として、野末の夕霧を見まはした。そして過去と未来をつなぐ一すぢの道に、果てなき迷ひと嘆息を抱(いだ)いた。
すると、彼方から笛の音(ね)が聞えた。やがて夕霧の裡(うち)から近づいて来たのは、牛の背に跨(またが)つた一童子である。玄徳はすれちがひながら童子の境遇を羨(うらや)ましく思つた。——と、童子はふり返つて、
「将軍々々。もしや貴方(あなた)は、そのむかし黄巾の賊を平げ近頃は荊州に居るという噂の劉豫州様とちがひますか」
と、いきなり訊ねた。
玄徳は驚きの目をみはつて、
「はて。かく草深い里の童(わらべ)が、どうして我(わが)名(な)を存じてをるのか。いかにも自分は劉備玄徳であるが……」
「あつ、矢張りさうでしたか。私の仕へてゐる師父が、常に客と話すのを聞いてゐたので、劉豫州とは、どんな人かと、日頃、胸に描いてゐましたところ、いま貴方(あなた)の耳をみると、人並み優れて大きいので、さては、大耳子(ダイジシ)と綽名(アダナ)のある玄徳様ではないかと思ひ付いたんです」
「して、そちの師父とは、如何(いか)なる人か」
「——司馬徽(シバキ)、字(あざな)を徳操(トクサウ)。また道号を水鏡(スヰキヨウ)先生と申されます。生れは潁川(エイセン)ですから黄巾の乱なども、よく見聞(ケンモン)しておいでになります」
「平常、交はる友には、どんな人人があるか」
「襄陽の名士はみな往来してをります。就中(なかんづく)、襄陽の龐徳公(ホウトクコウ)、龐統子(ホウトウシ)などは特別親しくして、よくあれなる林の中に訪ふて参ります」
童子の指さす方へ、玄徳も眼を放ちながら、
「——では、あれに見える一(イツ)叢(サウ)の林中に、そちの仕へる師父の庵(いほり)があるとみえるな」
「はい」
「龐徳公、龐統子とは、よく知らぬが、どういふ人物か」
「この二人は、叔父甥の間がらで、龐徳公は字(あざな)を山民(サンミン)といひ、師父よりも十歳ほど年下(ママ)です。また龐統子は士元(シゲン)と称し、この人も、私の師父よりまだ五歳ほど若く、この間もふたりして、先生の庵にやつて来ました。——ちやうど師父は裏へ出て柴を採つてゐましたが、その柴を焚いて、茶を煎(に)、酒をあたゝめて、終日、世間の盛衰を語り、英雄を論じ、朝から晩まで倦(う)むことがありませんでした。よほど、話し好きな人とみえます」
「さうか。……そちの言葉を聞いて、儂(み)も何(ど)うやら先生の庵を訪うてみたくなつた。童子、わしを案内して参らぬか」
「お易いこと。師父もきつと思はぬ珍客とお歓びになるでせう」
童子は牛をすゝめて行く。導かれて、およそ二里ほど行くと、〔ちら〕と、林間の燈(ひ)が見えた。幽雅な草堂の屋根が奥のほうに望まれ、潺湲(センクワン)たる水音に耳を洗はれながら小径(こみち)の柴門(サイモン)を入ると、内に琴を弾く音が洩(も)れ聞えた。
牛屋へ牛を繫(つな)いで、
「大人(タイジン)。あなたの駒も、奥へ繫いでおきましたよ。さあ、こちらへおすゝみ下さい」
「童子。まづその前に、先生にわしの来たことを取次いでくれ。無断で入つては悪(あ)しからう」
草堂の前に佇(たゝず)んで、彼が遠慮してゐると、〔はた〕と、琴の音(ね)がやんで、忽ちひとりの老人が、内から扉を排(お)して外へ咎(とが)めた。
「たれぢや、それへ参つたのは。……いま琴を弾じてをるに、幽玄清澄(イウゲンセイチヨウ)の音(ね)いろ、にはかに乱れて、殺伐な韻律となつた。かならず、窓外へ来たものは、血(ち)腥(なまぐさ)い戦場から彷徨(さまよ)うて来た落武者か何ぞであらう。……名を申せ。たれぢや、何者ぢや……」
玄徳はおどろいて、ひそかにその人を窺(うかゞ)ふに、年は五十餘りとおぼしく、松姿鶴骨(シヨウシカクコツ)、見るからに清々(すが/\)しい高士の風(フウ)を備へてゐる。
***************************************
次回 → 琴を弾く高士(二)(2025年7月7日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。