第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 義盟(五)
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いづれ易々とは承知しまい。最悪な場合までを関羽は考えてゐたのである。それが案外な返辞に
「ほ。……いや忝(かたじ)けない。早速の快諾に、申しては失礼だが、利に敏(さと)い商人たるお身等が、どうしてさう一言の下に、多くの馬匹を無料でそれがしへ引渡すと云はれたか」
懸合(かけあひ)に来た目的は達してゐるのに、かう先方へ要らざる念を押すのも妙なはなしだと思つたが、餘り不審なので、関羽はかう訊ねてみた。
すると、張世平は云つた。
「はゝゝゝ。餘りさつぱりお渡しすると云つたので、かへつてお疑ひとみえますな。いや御もつともです。けれど手前は、第一にまづ大人(タイジン)が悪人でない事を認めました。第二に、御計画の義兵を挙げる事は、頗(すこぶ)る時宜を得てをると存じます。第三は、貴郎方(あなたがた)のお力をもつて、自分等の恨みをはらしていたゞきたいと思つたからです」
「恨みとは」
「黄巾賊の大将張角一門の暴政に対する恨みでございます。手前も以前は中山で一といつて二と下らない豪商といはれた者ですが、彼(か)の地方も御承知の通り黄匪の蹂躙に会つて秩序は破壊され、財産は掠奪され、町に少女の影を見ず、家苑(カヱン)の小禽(ことり)すら啼かなくなつてしまひました。——手前の店なども一物もなく没収され、あげくの果(はて)に、妻も娘も、暴兵に攫(さら)はれてしまつたのです」
「むゝ。成程」
「で、甥の蘇双と二人して、馬商人(うまあきんど)に身を落し、市から馬匹を購入して、北国へ売りに行かうとしたのですが、途中まで参ると、北辺の山岳にも、黄賊が道を塞いで、旅人の持物を奪ひ、虐殺を恣(ほしいまゝ)にしてをるとの事に、空しく又、この群馬を曳(ひ)いて立帰(たちかへ)つて来たわけです。南へ行くも賊国、北へ赴くも賊国、かうして馬と共に漂泊してゐるうちには、遂に賊に生命まで共に奪はれてしまふのは知れきつてゐます。恨みのある賊の手に武力となる馬匹を与へるよりも、貴下の如きお志を抱く人に、進上申したはうが、遙かに意味のある事なんです。欣(よろこ)んで手前がお渡しする気持といふのは、そんなわけでございます」
「やあ、さうか」
関羽の疑問も氷解して、
「では、楼桑村まで、馬を曳(ひ)いて一緒に来てくれないか。われわれの盟主と仰ぐ劉玄徳と仰つしやる人に紹介(ひきあは)せよう」
「おねがひ致します。手前も根からの商人ですから、以上申上げたやうな理由でもつて、無料で馬匹を進上しましても、やはりそこはまだ正直、利益の事も考へてをりますからな」
「いや、玄徳様へお目にかゝつても、唯今(ただいま)のところ、代金はお下げになるわけにはゆかぬぞ」
「そんな目先の事ではありません。遠い将来で宜しいので。……はい。もし貴郎(あなた)がたが大事を成し遂げて、一国を取り、十州二十州を平(たひら)げ、あはよくば天下に号令なさらうといふ筋書のとほりに行つたらば、私へも充分に、利をつけて、今日の馬代金を払つて戴(いたゞ)きたいのでございます。私は、貴郎の計画を聞いて、これが貴郎がたの夢ではなく、わたし共民衆が持つてゐたものであるといふ点から、きつと御成功するものと信じてをります。ですから、今日この処分に困つてゐる馬を使つて戴くのは、商人として、手前にも遠大な利殖の方法を見つけたわけで、まつたくこんな欣(よろこば)しい事はありません」
張世平は、さう云つて、甥の蘇双と共に、関羽に案内されて従(つ)いて行つたが、その途中でも、関羽へ対して、かういふ意見を述べた。
「事を計るうへは、人物はお揃ひでございませうし、馬もこれで整ひました。これで一体、あなた方の御計画の内輪には、よく経済を切りまはして糧食兵費の内助の役目をする算数の達識が控へてゐるのでございますか。算盤(そろばん)といふものも、充分お考へのうへでこのお仕事にかゝつておいでゞ御座いますかな?」
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次回 → 義盟(七)(2023年10月26日(木)18時配信)