第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 義盟(四)
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「われわれの旗下に加盟するからには、即ち、われわれの奉じる軍律に伏さねばならん。今、それを読み聞かす故、謹んで承(うけたまは)れ」
張飛は、志願して来た壮士たちへ云つて恭しく、懐中(ふところ)から一通を取出して、声高く読んだ。
一 卒(ソツ)たる者は、将たる者に、絶対の服従と礼節を守る。
一 目前の利に惑はず。大志を遠大に備ふ。
一 一身を浅く思ひ、一世を深く思ふ。
一 掠奪断首。
一 虐民極刑。
一 軍紀を紊(みだ)る行為一切死罪。
「わかつたかつ」
餘り厳粛なので、壮士たちも、暫く黙つてゐたが、軈て、
「分りました」
と、異口同音に云つた。
「よし、然(しか)らば、今よりそれがしの部下として用ひてやる。たゞし、当分の間は、給料もつかはさんぞ。又、食物其他も、お互ひに有る物を分けて喰(く)ひ、一切不平を申すことならん」
それでも、募りに応じてきた若者輩(わかものばら)は、元気に兵隊となつて、劉備、関羽等の命に服した。
四、五日のうちに、約七八十人も集まつた。望外な成功だと、関羽は云つた。
けれど、すぐ困り出したのは食糧であつた。故に、一刻もはやく、戦争をしなければならない。
黄匪の害に泣いてゐる地方はたくさんある。まづその地方へ行つて、黄巾賊を追つぱらふ事だ。その後には、正しい税と食物とが収穫される。それは掠奪でない。天祿(テンロク)だ。
すると一日(あるひ)。
「張将軍、張将軍。馬がたくさん通りますぞ、馬が」
と、一人の部下が、こゝの本陣へ馳(か)けて来て注進した。
何者か知らないが、何十頭といふ馬を珠数(ジユズ)なぎに曳(ひ)いて、この先の峠を越えて来る者があるといふ報告なのだ。
馬と聞くと、張飛は
「そいつは何とか欲しいものだなあ」
と正直に唸つた。
実際今、喉から手の出るほど欲しい物は馬と金と兵器だつた。だが、義挙の軍律といふものを立てて部下にも示してあるので
「掠奪して来い」
とは命じられなかつた。
張飛は、奥へ行つて、
「関羽、かういふ報告があるが、何とか、手に入れる工夫はあるまいか。実に天の与へだと思ふのだが」
と、相談した。
関羽は聞くと
「よし、それでは、自分が行つて、掛合つてみよう」
と、部下数名をつれて、峠へ急いで行つた。麓の近くで、その一行とぶつかつた。物見の兵の注進に過(あやま)りなく、成程、四、五十頭もの馬匹を曳いて、一隊の者が此方(こつち)へ下つて来る。近づいて見ると皆、商人ていの男なので、これなら何とか談合(はなしあひ)がつくと、関羽は得意の雄辯をふるふつもりで待構へてゐた。
こゝへ来た馬商人(うまあきんど)の一隊の頭(かしら)は、中山(チウザン)の豪商でひとりは蘇双(ソソウ)、ひとりは張世平(チヤウセイヘイ)といふ者だつた。
関羽は、それに説くに、自分等三人が義軍を興すに至つた、愛国の衷情を以(もつ)て、切々訴へた。今にして、誰か、この覇業を建て、人天の正明をたゞさなければ、この世は永遠の闇黒であらうと云つた。支那大陸は、遂に、胡北(コホク)の武民に征服され終るであらうと嘆いた。
張世平と蘇双の両人は、何か小声で相談してゐたが、軈(やが)て
「よく分りました。この五十頭の馬が、さういふ事でお役に立てば満足です。差上げますからどうぞ曳いて行つて下さい」
と、意外にも、潔く云つた。
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次回 → 義盟(六)(2023年10月25日(水)18時配信)