第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 義盟(二)
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年齢からいへば、関羽がいちばん年上であり、次が劉備、その次が張飛といふ順になるのであるが、義約のうへの義兄弟だから年順を践(ふ)む必要はないとあつて、
「長兄には、どうか、貴郎(あなた)がなつて下さい。それでないと、張飛の我儘にも、圧(おさ)へが利きませんから」と、関羽が云つた。
張飛も、共々、
「それは是非、さうありたい。いやだと云つても、二人して、長兄長兄と崇(あが)めてしまふからいゝ」
劉備は強(し)ひて拒(いな)まなかつた。そこで三名は、鼎座して、将来の理想をのべ、刎頸の誓ひをかため、やがて壇を退(さが)つて桃下の卓を囲んだ。
「では、永く」
「変るまいぞ」
「変らじ」
と、兄弟の杯を交(かは)し、そして、三人一体、協力して国家に報じ、下万民の塗炭の苦を救ふを以(もつ)て、大丈夫の生涯とせんと申し合つた。
張飛は、すこし酔うて来たとみえて、声を大にし、杯を高く挙げて、
「ああ、こんな吉日はない。実に愉快だ。再び天に云ふ。われらここに在(あ)るの三名。同年同月同日に生まるゝ事を希(ねが》わず、願はくば、同年同月同日に死なん」
と、呶鳴つた。そして、
「飲まう。大いに、けふは飲まう——ではありませんか」
などと、劉備の杯へも、やたらに酒を注(つ)いだ。さうかと思ふと、自分の頭を、独りで叩きながら
「愉快だ。実に愉快だ」
と、子供みたいに叫んだ。
餘り彼の酒が、上機嫌に発しすぎる傾きが見えたので、関羽は、
「おいおい、張飛。今日の事を、そんなに歓喜してしまつては、先の歓びは、どうするのだ。今日は、われら三名の義盟ができただけで、大事の成功不成功は、これから後の事ぢやないか。少し有頂天になるのが早すぎるぞ」
と、たしなめた。
だが、一たん上機嫌に昇つてしまふと、張飛の機嫌は、なか[なか]水をかけても醒めない。関羽の生真面目を、手を打つて笑ひながら、
「わはゝゝゝ、今日かぎり、もう村夫子は廃業したはずぢやないか。お互(たがひ)に軍人だ。これからは天空海闊に、豪放磊落に、武人らしく交際(つきあ)はうぜ。なあ長兄」
と、劉備へも、すぐ馴々(なれ[なれ])と云つて、肩を抱いたりした。
「さうだ。さうだ」
と、劉備玄徳は、にこにこ笑つて、張飛のなすがまゝになつてゐた。
張飛は、牛の如く飲み、馬の如く喰(くら)つてから、
「さうさう。こゝの席に、劉母公がゐないという法はない。われわれ三人、兄弟の杯をしたからには、俺にとつても、尊敬すべきおつ母さんだ。——ひとつおつ母さんをこれへ連れて来て、乾杯し直さう」
急に、そんな事をいひ出すと、張飛はふら[ふら]母屋のはうへ馳けて行つた。そして軈(やが)て、劉母公を、無理に、自分の背中へ負つて、ひよろ[ひよろ]戻つて来た。
「さあ、おつ母さんを、連れて来たぞ。どうだ、俺は親孝行だらう——さあおつ母さん、大いに祝つて下さい。われ[われ]孝行息子が三人も揃ひましたからね——いやこれは、独りおつ母さんに取つて祝すべき孝行息子であるのみではない。支那の——国家に取つてもだ、われわれかう三名は、得難い忠良息子ではあるまいか——さうだ、おつ母さんの孝行息子万歳。国家の忠良息子万歳つ」
そしてやがて、かう三人の中では、酒に対しても一番の誠実息子たるその張飛が、まづ先に酔ひつぶれて、桃花の下に大鼾声(おほいびき)で寝てしまひ、夜露の降(おり)る頃まで、眼を醒まさなかつた。
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次回 → 義盟(四)(2023年10月23日(月)18時配信)
(なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。)