第一回 → 黄巾賊(一)
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「こゝの祭壇の前に坐ると同時に、自分はふと、こんな考へを呼び起されたが、両公の所存は何(ど)んなものだらうか」
関羽は、さう云ひ出して、劉備と張飛へ、かう相談した。
総(すべ)て物事には、体(タイ)を基(もと)とする。体形を整へてゐない事に成功はあり得ない。
偶然、自分たち三人は、その精神に於て、合致を見、けふを出発として、大事を為さうとするものであるが、三つの者が寄り合つただけでは、体を為してゐない。
今は、小なる三人ではあるが、理想は遠大である。三体一心の体を整へ置くべきではあるまいか。
事の中途で、仲間割れなど、よく有る例である。さういふ結果へ到達させてはならない。神をのみ禱(いの)り、神をのみ祀(まつ)つても、人事を尽さずして、大望の成就はあり得べくもあるまい。
関羽の説く所は、道理であつたが、偖(さて)どういふ体を備へるかと成ると、張飛にも劉備にもさし当つて何の考へもなかつた。
関羽は、語をつゞけて、
「まだ兵はおろか、兵器も金も一頭の馬すら持たないが、三名でも、こゝで義盟を結べば、即座に一つの軍である。軍には将がなければならず、武士には主君がなければならぬ。行動の中心に正義と報国を奉じ、個々の中心に、主君を持たないでは、それは徒党の乱に終り、烏合の衆と化してしまふ。——張飛もこの関羽も、今日まで、草田(サウデン)に隠れて時を待つてゐたのは、実に、その中心たるお人が容易にない為だつた。折ふし劉備玄徳といふ、しかも血統の正しいお方に会つたのが、急速に、今日の義盟の会となつたのであるから、今日只今、こゝで劉備玄徳どのを、自分等(ら)の主君と仰ぎたいと思ふが、張飛、おまへの考へは何(ど)うだ」
訊くと、張飛も、手を打つて、
「いや、それは拙者も考へてゐたところだ。いかにも、兄(ケイ)の云ふ通り、極(きめ)るならば、今こゝで、神に禱るまへに、神へ誓つたはうがよい」
「玄徳様、ふたりの熱望です。御承知くださるまいか」
左右から詰(つめ)よられて、劉備玄徳は、黙然と考へてゐたが、
「待つて下さい」
と、二人の意気ごみを抑へ、猶(なほ)やゝ暫く沈思してから、身を正して云つた。
「なる程、自分は漢の宗室のゆかりの者で、さうした系図からいへば、主たる位置に坐るべきでせうが、生来鈍愚、久しく田舎(デンシヤ)の裡(うち)にひそみ、まだ何も各々の上に立つて主君たるの修養も徳も積んでをりませぬ。どうか今暫く待つて下さい」
「待つてくれと仰つしやるのは」
「実際に当つて、徳を積み、身を修め、果たして主君となるの資才がありや否や、それを自身も貴方達(あなたたち)も見届けてから約束しても、遅くないと思はれますから」
「いや。それはもう、われわれが見届けてあるところです」
「左(さ)は云へ、私は猶、憚られます。——ではかうしませう。君臣の誓ひは、われわれが一国一城を持つた上として、こゝでは、三人義兄弟の約束を結んでおく事にして下さい。君臣となつて後も、猶三人は、末永く義兄弟であるといふ約束をむしろ私はしておきたいのですが」
「うむ」
関羽は、長い髯を持つて、自分の顔を引つ張るやうに大きく頷いた。
「結構だ。張飛、おぬしは」
「異論はない」
改めて三名は、祭壇へ向つて牛血と酒をそゝぎ、額(ぬか)づいて、天地の神祇(シンギ)に黙祷をさゝげた。
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次回 → 義盟(三)(2023年10月21日(土)18時配信)