第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 三花一瓶(さんくわいつぺい)(六)
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桃園へ行つてみると、関羽と張飛のふたりは、近所の男を雇つて来て、園内の中央に、もう祭壇を作つてゐた。
壇の四方には、笹竹を建て、清縄(セイジヤウ)を繞(めぐ)らして金紙銀箋の華をつらね、土製の白馬を贄(いけにへ)にして天を祭り、烏牛を屠つた事にして、地神を祠(まつ)つた。
「やあ、おはやう」
劉備が声をかけると、
「おゝ、お目ざめか」
張飛、関羽は、振向いた。
「見事に祭壇が出来ましたなあ。寝る間はなかつたでせう」
「いや、張飛が、興奮して、寝てから話しかけるので、ちつとも眠る間はありませんでしたよ」
と、関羽は笑つた。
張飛は劉備のそばへ来て、
「祭壇だけは立派にできたが、酒はあるだらうか」
心配して訊ねた。
「いや、母が何とかしてくれるさうです。今日は、一生一度の祝ひだと云つてゐますから」
「さうか、それで安心した。然(しか)し劉兄、いゝおつ母さんだな。ゆうべから側(そば)で見てゐても、羨しくてならない」
「さうです。自分で自分の母を褒めるのも変ですが、子に優しくて、世に強い母です」
「気品がある、どこか」
「失礼だが、劉兄には、まだ夫人(おくさん)はないやうだな」
「ありません」
「はやくひとり娶らないと、母上がなんでもやつて居る様子だが、あのお年で、お気の毒ではないか」
「…………」
劉備は、そんな事を訊かれたので、又ふと、忘れてゐた白芙蓉の佳麗なすがたを思ひ出してしまつた。
で、つい答へを忘れて、何となく眼をあげると、眼の前へ、白桃の花びらが、霏々(ヒヒ)と情有るものゝやうに散つて来た。
「劉備や。皆さんも、もうお支度はよろしいのですか」
厨(くりや)に見えなかつた母が、いつの間にか、三名の後(うしろ)に来て告げた。
三名が、いつでもと答へると、母は又、いそ[いそ]と厨房の方へ去つた。
近隣の人手を借りて来たのであらう。きのふ張飛の姿を見て、きやつと魂消(たまげ)て逃げた娘も、その娘の恋人の隣家(となり)の息子も、ほかの家族も、大勢して手伝ひに来た。
やがて先(ま)づ、一人では持てないやうな酒瓶(さけがめ)が祭壇の莚(むしろ)へ運ばれて来た。
それから豚の児(こ)を丸ごと油で煮たのや、山羊の吸物の鍋や、干菜を牛酪で煮つけた物だの、年数のかゝつた漬物だの——運ばれてくる毎(ごと)に、三名は、その豪華な珍味の鉢や大皿に眼を奪はれた。
劉備さへ、心のうちで、
「これは一体、どうしたことだろう」
と、母の算段を心配してゐた。
そのうちに又、村長の家から、花梨(カリン)の立派な卓と椅子が担(かつ)がれて来た。
「大饗宴だな」
張飛は、子どものやうに、歓喜した。
準備ができると、手伝ひの者は皆、母屋へ退がつてしまつた。
三名は、
「では」
と、眼を見合せて、祭壇の前の蓆(むしろ)へ坐つた。そして天地の神へ、
「われらの大望を成就させ給へ」
と、祈念しかけると、関羽が、
「御両所。少し待つてくれ」
と、何か改まつて云つた。
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次回 → 義盟(二)(2023年10月20日(金)18時配信)