第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 三花一瓶(さんくわいつぺい)(五)
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劉備は敢て、卑下しなかつたが、べつに尊大に構へもしなかつた。雲長関羽の礼に対して、当り前に礼を返しながら、
「ご丁寧に。……どうも申し遅れました。私は、楼桑村に永らく住む百姓の劉玄徳といふ者ですが、豫(かね)て、蟠桃河の上流(かみ)の村に、醇風良俗の桃源があると聞きました。おそらく先生の高風に化されたものでありませう。何を云ふにも、こゝは路傍ですから、すぐそこの茅屋までお越しください」
と、誘(いざな)へば
「おゝお供しよう」
関羽も歩み、張飛も肩を並べ共にそこから程近い劉備の家まで行つた。
劉備の母は、又新しい客が増えたので、不審がつたが、張飛から紹介されて、関羽の人物を見、欣(よろこ)びを現して、
「ようぞ、茅屋(あばらや)へ」
と心から歓待した。
その晩は、母も交(まじ)つて、夜更けまで語つた。劉備の母は、劉家の古い歴史を、覚えてゐる限り話した。
生れてからまだ劉備さへ聞いてゐない話もあつた。
(愈々(いよ[いよ])漢室のながれを汲んだ景帝の裔孫にちがひない)
張飛も、関羽も、今は少しの疑ひも抱(いだ)かなかつた。
同時に、この人こそ、義挙の盟主になすべきであると肚(はら)に極(き)めてゐた。
然(しか)し、劉玄徳の母親思ひのことは知つてゐるので、この母親が、
(そんな危(あぶな)い企みに息子を加へる事はできない)
と、断られたらそれ迄(まで)になる。関羽は、それを考へて、ぼつ[ぼつ]と母の胸をたづねてみた。
すると劉備の母は、皆まで聞かないうちに云つた。
「ねえ劉や、今夜はもう遅いから、おまえも寝(やす)み、お客様にも臥床(ふしど)を作つておあげなさい。——そして明日はいづれ又、お三名して将来の相談もあらうし、大事の門出でもありますし、母が一生一度の馳走を拵(こしら)へてあげますからね」
それを聞いて、関羽は、この母親の胸を問ふなど愚である事を知つた。張飛も共に、頭(かしら)を下げて、
「ありがたう御座る」
と、心服した。
劉備は、
「では、お言葉に甘へて、明日はおつ母さんに、一世一代の祝ひを奢つていたゞきませう。けれどその御馳走は、吾々ばかりでなく、祭壇を設けて、先祖にも上げていたゞきたいものです」
「では、ちょうど今は、桃園の花が真盛りだから、桃園の中に蓆(むしろ)を敷かうかね」
張飛は手を打つて、
「それはいゝ。では吾々も、あしたは朝から桃園を浄(きよ)めて、せめて祭壇を作る手助(てつだひ)でもしよう」
と、云つた。
客の二人に床(シヤウ)を与へて、眠りをすゝめ、劉備と母のふたりは、暗い厨(くりや)の片隅で、藁を被(かぶ)つて寝た。
劉が眼をさましてみると、母はもう居なかつた。夜は明けてゐたのである。どこかで頻(しき)りに、山羊の啼く声がしてゐた。
厨の窯の下には、どか[どか]と薪(まき)が燻(く)べられてゐた。こんなに景気よく窯に薪の焚かれた例(ためし)は、劉備が少年の頃から覚えのない事であつた。春は桃園ばかりでなく、貧しい劉家の臺所に訪れて来たやうに思はれた。
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次回 → 義盟(一)(2023年10月19日(木)18時配信)