第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 三花一瓶(さんくわいつぺい)(四)
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誰も居なくなると、雲長はすぐ張飛の縄を解いて、
「よく俺を信じて、神妙にしてゐてくれた。事なく助ける策謀の為とはいへ、貴様を手にかけた罪はゆるしてくれ」
詫びると、張飛も、
「それ所ではない。又無益の殺生を重ねるところを、尊兄のお蔭で助かつた」
と、今朝のむかつ腹もわすれて、いつになく、素直に謝つた。そして、
「——だが雲長。その身装(みなり)は一体、どうした事か。俺を助けに来る為にしては、餘りに物々しい装(よそほ)ひではないか」
怪しんで問ふと、
「張飛。何をとぼけた事を云ふ。それでは昨夜、あんなに熱をこめて、時節到来だ、良き盟友を獲(え)た、いざ、豫(かね)ての約束を、実行にかゝらうと云つたのは、噓だつたのか」
「噓ではないが、大体、尊兄が不賛成だつたらう。俺の言ふ事何ひとつ、信じてくれなかつたぢやないか」
「それは、あの場の事だ。召使もゐる、女共もゐる。貴様のはなしは、秘密[秘密]と云ひながら、彼(あ)の大声だ。洩れてはならない——さう考へたから一応冷淡に聞いてゐたのだ」
「何だ、それなら、尊兄もわしの言葉を信じ、豫(かね)ての計画へ乗り出す肚(はら)を固めてくれたのか」
「おぬしの言葉よりも、実は、対手(あひて)が楼桑村の劉備どのと聞いたので、即座に心は極(き)めてゐたのだ。豫豫(かねがね)、わしの村まで孝子といふ噂の聞えてゐる劉備どの、それに他(よそ)ながら、御素姓や平常の事なども、ひそかに調べてゐたので」
「人が悪いな。どうも尊兄は、智謀を弄すので、交際(つきあ)ひにくいよ」
「はゝゝ。貴様から交際ひ難(にく)いと云はれようとは思はなかつた。人を殺し、酒屋を飲み仆(たふ)し、その尻尾は童学草舎へ持つて行けなどと云ふ乱暴者から、さう云はれては埋らない」
「もう行つたか」
「酒屋の勘定ぐらゐならよいが、官の捕手(とりて)を殺したのは、雲長の義弟(おとと)だと分つたひには、童学草舎へも子供を通はせる親はあるまい。いづれ官からこの雲長へも、やかましく出頭を命じて来るに極(きま)つてゐる」
「成程」
「他人事(ひとごと)のやうに聞くな」
「いや、済まん」
「然(しか)し、これはむしろ、よい機(しほ)だ。天意の命じるものである。かう考へたから、今朝、召使や女共へ、みな暇を出した上、通学して来る子供たちの親も呼んで、都合に依つて学舎を閉鎖すると言ひ渡し、心置なく、身一つになつて、斯(か)くは貴様の後を追つて来たわけだ。——さ。これから改めて、劉備どのの家へお目にかゝりに行かう」
「いや。劉備どのなら、そこに居る」
「え?…………」
雲長は、張飛の指さす所へ、眼を振向けた。
劉備は最前から、少し離れた所に立つてゐた。そして、張飛と雲長との二人の仲の睦まじさと、その信義に篤い様子を見て、感にたへてゐる面持(おももち)だつた。
「あなたが劉備様ですか」
雲長は、近づいて行くと、彼の足下へ最初から膝を折つて、
「初めてお目にかゝります。自分は河東解良(山西省・解県)の産で、関羽字(あざな)は雲長と申し、長らく江湖を流寓の末、四、五年前よりこの近村に住んで、村夫子となつて草裡に空しく月日を送つてゐた者です。かねて密に心にありましたが、計らずも今日、拝姿の栄に会ひ、こんな歓ばしい事はありません。どうかお見知りおき下さい」
と、最高な礼儀を執つて、慇懃に云つた。
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次回 → 三花一瓶(さんくわいつぺい)(六)(2023年10月18日(水)18時配信)
昭和14年(1939)10月18日(水)付の夕刊は、前日(配達日)の10月17日(火)が祝日(神嘗祭)のため休刊でした。これに伴い明日10月17日(火)の配信はありません。