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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 雷怯子(三)
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ちやうどその頃。
南苑の門のあたりでも、さながら雷鳴のやうな人声が轟いてゐた。
「開けろつ、開けろつ。開門せねば、ぶち壊して踏み通るぞツ」
苑内の番卒はおどろいて、
「壊してはいかん。何者だ。何者だ」
問ひ返すまにも、巨(おほ)きな門が揺々(ゆら/\)と震(ゆ)れてゐる。瑠璃(ルリ)瓦(かはら)の二三片が、門屋根からぐわら/\落ちて砕け散つた。
「あつ、狼藉な。——何者か名を申せ、何用か、用向(ようむき)を云へ」
すると、門の外で、
「ぐづ/\云つてゐるいとまはない。われ等両名は、けふ丞相に招かれた客、劉玄徳が義弟どもだ」
「あつ、では関羽と張飛か」
「開けろツ、早く」
「相府のおゆるしを得(う)けて参つたか」
「そんな事をしてゐる暇(いとま)はないといふのに分らん奴、エヽ面倒だつ、兄貴、そこを退(の)いてゐろ。この大石を門扉へたゝきつけてくれる」
中の番卒は仰天して、
「待て/\。無茶なまねをゐたすな。開けないとは云はん」
「早くいたせ!早くツ」
「仕方がないやつ」
慄(ふる)へあがつて、渋々、開けようとしてゐると、関羽、張飛のふたりを追つて来たらしい相府の役人や兵たちが、
「成らん/\。丞相のおゆるしを得てといふのに、理不尽に押通つた乱暴者、通つてはならんぞ」
と、呶(ど)鳴(な)りながら、左右から組(くみ)ついて来た。
「虫ケラ。踏(ふみ)つぶされたいかツ」
叩きつける、踏(ふみ)放す、抓(つま)んで投げ上げる。
わつと、怯んで逃げるまに、張飛は大石を抱へあげて、門へぶつつけた。
ふたりは躍りこんで、梅林のあひだを疾風のごとく駈けた。玄徳は今しも、宴の席を辞して帰りかけてゐたところだつたが、その小亭の下まで来るやふたりは、
「おゝつ、わが君」
「家兄つ」
と、大地に〔ペタ〕とひざまづき、その無事なすがたを見て、こみあげる欣(うれ)し涙と、一時に〔がつかり〕してしまつて、暫(しば)し肩で大息をついてゐた。
曹操は、見(み)咎(とが)めて、
「関羽と張飛の二人よな。招きもせぬに、何しに来たか」
「はつ……と」、関羽は咄嗟に答へにつまつて、
「さ、されば……折ふしの御酒宴ともれ承はり、やつがれ共、拙(つた)ない剣を舞はして、御一興を添へんものと、無礼もかへりみず推参いたしました」
苦しげに云ひ抜けると、曹操は開口一番、限りもなく大笑した。
「わはゝゝ、何を戸惑うて。——これ両人、けふは古(いにしへ)の鴻門(コウモン)の会ではないぞ。いずくんぞ項荘(カウサウ)、項伯(カウハク)を用ひんや、である。なう劉皇叔」
玄徳も、共に、
「いや、ふたり共、粗忽者ですから」
笑ひ紛らすと、
「どうして、粗忽者どころか、雷怯子の義弟(おとと)としては出来すぎてゐる程だ」
と、曹操は眸もはなたず二人を見てゐたが、やがて、
「せつかく参つたものだ。剣(つるぎ)の舞は見るにおよばんが、二(ニ)樊噲(ハンクワイ)に酒杯(さかづき)をつかはせ」
と、亭上から云つた。
張飛は拝謝して、腹(はら)癒(い)せのやうに痛飲したが、関羽は口にふくんだ酒を、曹操の眼がそれた隙に、うしろへ吐いてしまつた。
雨後の夕空には白虹(ハクコウ)がかゝつてゐた。虎口の門をのがれ出た玄徳の車は、ふたりの義弟に護られながら、虹の下を、無事、轍(わだち)を旋(めぐ)らしつゝ戻つて行く——。
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次回 → 兇門(きようもん)脱出(一)(2024年12月21日(土)18時配信)