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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 雷怯子(らいけふし)(四)
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幾日かを措(お)いて、玄徳は、けふは先日の青梅の招(まねき)のお礼に相府へ参る、車のしたくをせよと命じた。
関羽、張飛は口をそろへて、
「曹操の心根には、なにが潜んでゐるか知れたものではない。才(サイ)長(た)けた奸雄(かんゆう)の兇門へは、こつちから求めて近づかぬ方が賢明でせう」
と、不敵な二人も、曹操だけには警戒を怠らない——といふよりは、むしろ切に玄徳の自重をうながした。
玄徳は、頷(うなづ)き、且(かつ)ほゝ笑んで云ふには、
「だからわしも、努めて菜園に肥桶(こえをけ)を担(にな)つたり、雷鳴(かみなり)に耳をふさいだり、箸を取落したりして見せてゐる次第だ。しかし、聡明敏感な彼のことだから、避けて近づかなければ、又、猜疑するだらう。むしろいよ/\保命の鼻毛をのばして、時々、彼の嘲笑をうけに行つたはうが無事かと思ふ」
初めて玄徳の口から菜園に鍬(くわ)を把(と)るの深慮(おもんぱかり)を聞かされ、霹靂に耳をふさぐの遠謀を説き明かされて、ふたりもその周到な用意に今さら舌をまき、家兄にそこまでの心構へある以上、何をか曹操に近づくを恐れんや——とばかり供に従つて車のあとに歩いた。
曹操は、玄徳を見ると、けふも至極機嫌よく、
「皇叔。今日はこのあひだと違つて、無風晴穏、かみなりも鳴るまいから、悠々(ゆる/\)、興を共にしたまへ」
と、いつぞやの清雅淡味と趣きをかへて、その日は、贅美濃厚な盞肴(サンカウ)をもつて、卓を充(みた)した。
ところへ、侍臣が、
「河北の情勢を窺ひに行つた満寵(マンチヨウ)が、手先の密偵の諜報を悉皆(シツカイ)あつめて、たゞいま立ち帰つてまゐりましたが」
と、席へ告げた。
曹操は眼の隅(すみ)から〔ちろ〕と玄徳の面(おもて)を見たが、
「オ。満寵が帰つたか。すぐこゝへ通せ」
と、いひつけた。
やがて満寵は、侍臣に伴はれて、席の一隅に起立した。曹操は
「河北の情勢はどうか。袁紹が虚実をよく視て来たか」
と、その報告を求めた。
満寵は答へて、
「河北には、別して変つた事態も起つてをりませんが、北平の公孫瓚は、袁紹のために亡(ほろぼ)されました」
聞いて驚いたのは座にあつた玄徳である。
「えつ、公孫瓚が亡されましたと、あれほどな勢力地盤を有し、徳も備へた人が、どうして一朝に滅亡を遂げたものか……噫(あゝ)」
儚(はかな)げに嘆息して、手の杯(さかづき)も忘れてゐる様を見て、曹操は、怪しみながら、
「君は、何故そのやうに、公孫瓚の死を嘆じるのかね。わからんな余には。——興亡は兵家の常ぢやないか」
「それはさうですが、公孫瓚は年来親しくしてゐるわたくしの恩友です。曽(か)つて、黄巾の乱のはじめ、貧しき中に志をたて、まだろくな武備も人数も持たない私は、関羽、張飛のふたりと共に、乱に赴く公孫瓚の列に加へてもらひ、またその陣を借りて戦ひなどいたし、何かとお世話になつたお方であります。——あいや、満寵どの、どうかもう少しくわしくお語り下さるまいか」
さう聞いて、曹操も、
「なる程、君と彼とは、君が無名の頃から浅くない仲だつたな。これ、満寵々々。貴賓もあのやうに求めらるるゝ。公孫瓚が滅亡の仔細、なほつまびらかに、それにて語れ」
と、云つた。
さればその次第は——と、満寵はつぶさに語り出した。
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次回 → 兇門脱出(二)(2024年12月23日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。