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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 鶏鳴(二)
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「張飛。——欠伸(あくび)か」
「ムム、関羽か。毎日、することもないからな」
「又、飲んだのだらう」
「いや、飲まん/\」
「夏が近いな、もう……」
「梅の実も大きくなつて来た。しかし一体、うちの大将は、どうしたものだらう」
「うちの大将とは」
「兄貴さ」
「この都にゐるうちは少しことばを慎め。御主君をさして、兄貴だの、うちの大将だのと」
「なぜ悪い。義兄弟(ケウダイ)の仲で」
「貴様はさう心易くいうが、朝廷では皇叔、外にあつては、左将軍劉豫州ともあるお方だ。むかしの口癖はよせ。わが主君の威厳を、わが口で落すやうなものだ」
「さうか。……成程」
「何をつまらなさうな顔してをるんだ」
「何をつて、その左将軍たるものが、こゝのところ毎日、何をやつてゐるか知つてゐるか貴様は」
「知つてゐる」
「陽気のせゐで、すこし頭が悪くなつたんぢやないかとおれは真面目に心配してをるのだ」
「誰のことを」
「だからよ。わが主君たる人の行ひをさ」
「どうして?」
「どうしてだと。まあ立話(たちばなし)ではできん。かりそめにも、御主君のうはさだから」
「すぐ〔しツぺ〕返しをしをる。貴様ほど意地ツ張(ぱり)なやつはないな」
苦笑しながら、関羽もならんでそこらの石に腰かけた。
彼方に、たくさんの馬を繫いでゐる厩舎が見える。
こゝは下僕(しもべ)部屋のある邸内の空地だ。
桃の花が散つてくる。
詩は感じないでも、桃の花をみると二人は楼桑村の桃園を憶ひおこす。
張飛は、最前から独りでつまらなさうに樹の下に腰かけて頰杖つきながら、それを眺めてゐたところだつた。
「なんだ一体、御主君の行ひについて、貴様の不平とは?」
「この頃、玄徳杖(ママ)には邸内の畑へ出て、百姓のまね事ばかりしてゐるではないか。菜園へ出るもよいが、自分で水を担つたり、肥料(こえ)をやつたり、鍬をもつて、菜や人参を掘りちらさないでもよからうぢやないか」
「その事か」
「百姓がしたいなら、楼桑村へ帰りやあいゝ。何も都に第宅を構へ左将軍なんていふ官職は要るまい。肥桶(こえをけ)をかつぐんに、われ/\兵隊なども要らんわけだ」
「きさま、さういふな」
「だからおれは、これは天候のせゐかも知れないと、憂ひてゐるんだ。どう思ふ。兄貴は」
「君子のことばに、晴耕雨読といふことがある。雨の日にはよく書物に親しんでをられるから、君子の生活を実践してをられるものだとおれは思ふが」
「困るよ、今から隠者になられては。——抑々(そも/\)われ/\は、これから大いに世に出て為(な)すあらんとしてゐる者ではないか」
「もちろん」
「よしてくれ!君子の真似なんか!」
「おれに云つても仕方がない」
「けふも畑に出てゐるやうか」
「やつてをられるらしい」
「二人して、意見しに行かうぢやないか」
「さあ?」
「何をためらうか。貴様はたつた今、主君の威厳にさはるとか、おれをたしなめたではないか。おれには何でも云へるが、主君の前へ出ては、何もいへないのか」
「ばかを云へ」
「では行かう、従(つ)いて来い。忠義の行ひでいちばん難しいことは、上(かみ)に善言して上より死を賜ふも恨まずといふことだぞ」
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次回 → 青梅、酒ヲ煮テ、英雄ヲ論ズ(二)(2024年12月13日(金)18時配信)