ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 白門楼始末(二)
***************************************
運命は皮肉を極む。時の経過に従つて起るその皮肉な結果を、俳優自身も知らずに演じてゐるのが、人生の舞台である。
陳宮と曹操のあひだなども、その一例といえよう。抑々(そも/\)、陳宮の今日の運命は、そのむかし、彼が中牟(ちうむ)(ママ)の県令として関門を守つてゐた時、捕へた曹操を救けたことから発足してゐる。
当時、曹操は、まだ白面の一志士であつて、洛陽の中央政府の一小吏に過ぎなかつたが、董卓を暗殺しようとして果(はた)さず、都を脱出して、天下に身の置き所もなかつたお尋ね者の境遇だつた。
それが、今は。
曽(か)つての董卓をもしのぐ位置に登つて大将軍曹亟相(ママ)と敬はれ、階下に曳かれてきた敗将の陳宮を、冷然と見くだしてゐるのであつた。
「…………」
陳宮は、立つた儘(まゝ)、じつと曹操の面(おもて)を、しばらく見つめてゐた。
(——もし、曹操を、そのむかし中牟(ちうむ)(ママ)の関門で助けなどしなかつたら、今日の俺も、こんな運命にはなるまいに)
と、その眼は、過去の悔と恨みを、あり/\と語つてゐた。
「坐らぬかつ」
縄尻を持つた武士に腰を蹴られて、陳宮は折れるが如く身を崩した。
曹操は、階の上から、冷やゝかに見て。
「陳宮か。御辺とは実に久し振(ぶり)の対面だ。その後は、恙(つゝが)ないか」
「見た通りである。——恙なきや、との訊ねは、自己の優越感を満足させるために、此方を嘲弄することばと受取れる。相変らず、冷酷な小人ではある。嗤(わら)ふにたへた事だ」
「小人とは、そちの如き者をいふ。理智の小さな眼の孔(あな)からばかり人間を観るので、余の如き大きな人物を見損ふのだ。——その為に、遂に、かういふ事になつたが何よりの実證ではないか」
「いや、たとひ今日、かゝる辱(はぢ)をうけても、心根の正しくない汝についてゐるよりは〔まし〕だつた。奸雄曹操ごとき者を見捨てたのは、自身、以て先見の明を誇るところで、寸毫、後悔などはしてをらん」
「余を、不義の人物といひながら、然(しか)らばなぜ、呂布のやうな、暴逆の臣を扶(たす)けて、その祿を喰(は)んで来たか。君は、頗(すこぶ)る愛嬌のある口頭正義派の旗持(はたもち)とみえる。口先だけの正義家で衣食の道は〔べつ〕だといふ寔(まこと)に御都合のいゝ主義だ。いや笑止々々」
「だまれ」
陳宮は胸を反(そ)らして、
「いかにも呂布は暗愚で粗暴の大将にちがひない。しかし彼には汝よりも多分に善性がある。正直さがある。尠(すくな)くも、汝のごとく、酷薄で詐言(いつはり)が多く、自己の才謀に慢じて、遂には、上をも犯すやうな奸雄では絶対にない」
「はゝゝ。理窟はどうにでもつく。だが、今日の事実をどう思ふか。縄目にかけられた敗軍の将の感想を訊きたいものだが」
「勝敗は、時の運だ。たゞ、そこに在る人が、それがしの言を用ひなかつた為に、この憂目を見たに過ぎない」
と、傍に俯(うつ)向(む)いた儘(まゝ)である呂布のすがたを、顔で指して、
「さもなければ、やはか、汝ごときに敗れ去る陳宮ではない」
と、傲然、云ひ放つた。
曹操は、苦笑して、
「時に、御辺は今、自分の身をどうしようと思ふか」
と、訊ねた。
陳宮は、さすがに、さつと顔いろに、感情をうごかして、
「たゞ、死あるのみ。早く首を打ち給へ」
と、云つた。
「成程、臣として忠ならず、子として孝ならず、死以外に、途(みち)はあるまい。しかし御辺には老母がある筈。——老母はいかにするつもりか」
さう云はれると、陳宮は遽(にはか)にうつ向いて、さん/\と落涙した。
***************************************
次回 → 白門楼始末(四)(2024年11月20日(水)18時配信)