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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 白門楼始末(一)
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「捕(と)つたつ」
「呂布を縛(から)めた!」
諸声(もろごゑ)あげて、反軍の将士が、そこでどよめきを揚げた頃——城頭のやぐらでは、一味の者が、白旗を振つて、
「東門は開けり」
と、寄手へ向つて、かねての合図を送つてゐた。
それつ——と曹操の大軍は、いちどに東の関門から城中へなだれ入つたが、要心深い夏侯淵は、
「もしや敵の詭計(キケイ)ではないか」
と、疑つて、容易に軍をうごかさなかつた。
宋憲は、それと見て、
「御疑念あるな」
と、城壁から彼の陣へ、大きな戟を投げて来た。
見るとそれは呂布が多年戦場で用ひてゐた画桿(グワカン)の大戟だつた。
「城中の分裂、今はまぎれもなし」
と、夏侯惇も、つゞいて関内へ駸入し、その餘の大将も、続々入城する。
城内はまだ鼎(かなへ)の沸くがごとき混乱を呈してゐた。
「呂将軍が捕はれた」
と伝はつたので、城兵の狼狽は無理もなかつた。去就に迷つて殲滅の憂目に会ふ者や、逸(イチ)早く、武器を捨て、投降する者や、右往左往一瞬はさながら地獄の底だつた。
中にも。
高順、張遼の二将は、変を知るとすぐ、部隊をまとめて、西の門から脱出を試みたが、洪水の泥流深く、進退極まつて、悉(こと/゛\)く生(いけ)虜(ど)られた。
又。——南門にゐた陳宮は。
「南門を、死場所に」
と、防戦に努めてゐたが、曹操麾下の勇将徐晃に出会つて、彼も亦(また)、捕虜の一人となつてしまつた。
かうして、さしもの下邳城も、日没と共に、まつたく曹操の掌中に収められ、一夜明けると、城頭楼門の東西には、曹軍の旗が満々(みち/\)と、曙光(シヨクワウ)の空に翻(ひるがへ)つてゐた。
曹操は、主閣白門楼の楼台に立つて、即日、軍政を布(し)き人民を安んじ、又、玄徳を請じて、傍らに座を与へ、
「いざ。降人を見よう」
と、軍事裁判の法廷をひらいた。
まづ第一に、呂布が引立てられて来た。呂布は身長(みのたけ)七尺ゆたかな偉大漢なので、団々と、巨大な鞠(まり)の如く縄をかけられた為、いかにも苦しげであつた。
白門楼下の石畳の上にひきすゑられると、彼は、階上の曹操を見上げて、
「かく迄(まで)、辱めなくてもよからう。曹操、おれの縄目を、もうすこし緩めるやうに、吏へ命じてくれ」
と、云つた。
曹操は苦笑を湛(たゝ)へて、
「虎を縛るに、人情をかけては居られまい。——併(しか)し、口がきけないでも困る。武士共、もうすこし手頸(てくび)の縄をゆるめてやれ」
すると、主簿の王必(ワウヒツ)があわてゝ、遮つた。
「滅相もない。呂布の猛勇は尋常な者とはちがひます。滅多に憐愍(レンビン)をかけてはなりません」
呂布は、〔はつた〕と王必を睨(にら)めつけて、
「おのれ、要らざる差(さし)出口を」
と、牙を剝(む)いて咬みつきさうな顔をした。
そして又、眼を階下に並居る諸将に向けた。そこには魏続や侯成や宋憲など、きのふ迄(まで)自分を主君とあがめてゐた者が、曹操の下に甘んじて居並んでゐる。——呂布は、眼をいからして、その人人の顔を睨めまわし、
「汝らは、どの面(つら)下げて、この呂布に会へた義理か。わが恩を忘れたか」
侯成は、〔あざ〕笑つて
「その愚痴は、日頃、将軍が愛されてゐた秘院の女房や寵妾へおつしやつたらいゝでせう。われ/\武臣は、将軍から百杖の罰や苛酷な束縛は頂戴した覚えはあるが、将軍の愛する婦女子ほどの恩遇もうけた例(ためし)はありません」
と、云ひ返した。
呂布は、黙然と、うな垂れてしまつた。
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次回 → 白門楼始末(三)(2024年11月19日(火)18時配信)