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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
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最後の一計もむなしく半途に終つて、それ以来、呂布は城にあつて、日夜悶々と、酒ばかりのんでゐたが、——その呂布を攻め、城を取囲んでゐる曹操の方にも、すでに安からぬ思ひが濃かつた。
「この城を囲んでからもう六十餘日になる。しかも猶(なほ)、頑として、城は陥ちない。かうしてゐる間に、もし後方に敵が起つたらわが全軍はこの大寒の曠野に自滅するほかはない」
曹操は憂ひてゐた。
戦はすでに冬期に入つて、兵馬の凍死するのも数知れなかつた。糧草は尽きんとしてゐるし、雪は山野を埋め、今更、軍を退いて遠く帰ることすら困難であつた。
「何(ど)うしたものか?」
焦躁の気を眉に蒐(あつ)めて、不落の敵城を見つめた儘(まゝ)、独り沈思してゐると、吹雪を衝いて、陣へ辿り着いた早打(はやうち)があつた。
「河内の張楊は、呂布と交誼(よしみ)があるので後詰(ごづめ)して、呂布を助けんと称し、兵をうごかしました。ところが手下の楊醜(ヤウシウ)が、忽ち心変りして張楊を殺し、その軍を奪つたところから大混乱となり、軍の眭固(ケイコ)と申す者が、又々、張楊の讎(あだ)と云つて、楊醜を討ち殺し、人数をひきゐて、犬山(ケンザン)方面まで動いて参りました」
との注進であつた。
曹操は、折も折と、
「捨ておけまい。史渙(シクワン)、そちの一部隊を、犬山にあてゝ、眭固を打ち取れ」
と、すぐ側(かたは)らの大将史渙に云つて、万一に備へさせた。
史渙の隊は、雪を冒して、犬山へ向つた。——曹操の心は、いよいよ晏如(アンジヨ)たり得ない。冬は長い。実に冬は長いのである。明けても暮れても大陸の空は灰色に閉ぢて白いものを霏々(ヒヽ)と舞はせてゐる。
「かう城攻めも長びいては、必ず心腹の患ひが起きるだらう。曹操の武力を侮り、後方に小乱の蜂起するは目に見えてゐる。しかも都の北には、西涼の憂があるし、東には劉表、西には張繡、各々、虎視眈々と、この曹操が脚を失つて征途につかれるのを窺(うかゞ)つてゐるところだ……」
思ひあまつてか、諸大将をあつめた上で、曹操もたうとう弱音を吐いてしまつた。
「師(いくさ)を帰さう!残念だがぜひもない。——又、機を計つて、遠征に来るとしよう!」
すると、荀攸(ジユンシウ)が、
「丞相にも似あはぬおことばを聞くものである」
と、声を励まして諫めた。
「いかさま、この長期に亘(わた)つて、お味方の艱苦たるや、言語に絶したものに相違ございませんが、城中の者の不安と苦しみも亦(また)、これ以上のものに違ひありません。今は、籠城の者と寄手の根(コン)競(くら)べです。城中の兵は、退(ひ)くに退けない立場にあるだけ、覚悟に於(おい)ては、寄手以上の強味をもつてゐる。——故(ゆゑ)に、寄手の将たる者は、夢々帰る都があるなどゝ自身も思つてはならないし、兵にも思はせてはならないのです。——然(しか)るに、丞相おん自らそのやうに気を落して、いかで諸軍の心が振ひませうか」
荀攸は、心外なりとばかり、口を極めて、退くことの不利を説いた。
更に亦、郭嘉が、
「この下邳の陥ちないのは、泗水、沂水の地の利ある故ですが、その二水の流れを、味方に利用せば、敵は忽ち破れ去ること疑ひもありません」
と、一策を提出した。
それは泗水河と沂水河に堰(せき)を作つて、両水をひとつに向け、下邳の孤城を水びたしにしてしまふことだつた。
この計画は成功した。
人夫二万に兵を督して、目的どほり二つの河をひとつに蒐(あつ)めた。折ふし又、暖日の雨がつゞいたので、孤城は忽ち濁流にひたされ、敵はみな高い所へ這ひのぼつて、刻々と水嵩(みづかさ)を盛り上げてくる城壁の水勢に施す術もなく騒いでゐる様子が、寄手の陣地からも眺められた。
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次回 → 破瓶(はへい)(二)(2024年11月14日(木)18時配信)