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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 煩悩重囲(三)
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「さうだ。……あの縁談も破談となり終つたわけではないな」
呂布は暗中に、一つの光明を見出したやうに呻(うめ)いた。
そして、二人の臣へ、
「では、其方たちが、進んで淮南へ使に立つと申すか」
「不肖なれど、御当家の浮沈にかゝはる大事、一命を賭して、致したいと存じます」
「殊勝々々。よく云つてくれたぞ。——では早速、袁術へ宛て、書簡をしたゝめるからそれを携へて、淮南へ急いでくれい」
「御命、かしこまりました——然(しか)し、この下邳の城は、すでに敵の重囲にあり、又、淮南の通路は、劉玄徳が関をまうけて、往来を厳しく監視してをりますとか。……何とぞ臣等の使命のため、一軍の兵をお出しあつて、通路の囲みを突破して戴(いたゞ)きたく存じますが」
「よろしい、さもなくては淮南へ出ることは能(かな)ふまい」
呂布は、直ちに張遼、郝萌の二大将をよび、各々へ五百餘騎をさづけて、
「両名を淮南の境まで送るやうに」と、いひつけた。
「畏まつて候」
とばかり、張遼の五百餘騎は前に立ち、郝萌はうしろに備へて、飛龍の勢目(セイモク)を形づくり、城門をひらいて突出(とつしゆつ)した。
敵中横断の挙は、もちろん深夜を選ばれて決行されたものである。まんまと曹操の包囲線も越え、次の夜、玄徳の陣をも駆(かけ)通りに突破してしまつた。
「上々首尾!」
両使は、淮南の境を出ると、喊呼(カンコ)した。
「でも、まだ、帰りの危険もあるから」
と、郝萌の五百騎だけは、使者について、淮南まで随行した。
張遼は、手勢の五百騎だけを従へて、元の道へ引つ返したが、こんどは玄徳陣の警戒線に引つかゝつて、
「どこへ参る」
と、一隊の兵馬に道をさへぎられた。
張遼がふと敵の将を見ると、それは曽(か)つて小沛の城を攻めた時、城頭から自分に向つて正義の意見を呈してくれた関羽であつた。——で、互(たがひ)に顧眄(コベン)の心があるので、敵ながらすぐ弓や戟(ほこ)に物を云はせようとせず、二、三の問答を交(かは)してゐるうちに、下邳のほうから高順、侯成が助けに来てくれたので、張遼は危いところで虎口をのがれ、無事城中へ帰ることが出来た。
——だが、その後。
淮南に着いて、袁術に謁し、呂布の書簡を呈してやがて戻つてきた許汜(キヨシ)、王楷の二使は、さうは行かなかつた。
袁術に会見しての結果は、まづ成功のはうだつた。二使も外交的な才辯をふるつて大いに努めたので、袁術は、
(呂布は、反覆常なく、書簡の上だけでは、到底信用できかねるが、もしこの際でも、愛娘(アイジヤウ)を送つてくるほどな熱意を示すならば、それを誠意の證(あかし)とみとめて、朕も国中の兵をあげて救(たす)け遣(つか)はすであらう)
と、云ふ返辞だつた。
二使は、大よろこびで、道を急いで帰つて来たが、二更の頃、関所の辺を駈け通りに駈(かけ)抜けようとすると、
「夜中に、馬を早めて行くは何者の隊だ」
と、張飛の陣に覚(さと)られて、忽ち包囲されてしまつた。
二使の守りについてゐた郝萌は、張飛に出会つて、馬上から組(くみ)落され、高手(たかて)籠手(こて)に縛られて、捕虜になつてしまつた。
五百の兵も、虱(しらみ)つぶしにあらましは討たれたが、僥倖にも乱戟混戦の闇にまぎれて、許汜、王楷の二使だけは辛くも身一つで下邳の城まで逃げ着いた。
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次回 → 煩悩重囲(五)(2024年11月11日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。