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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
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下邳の小城は、呂布にとつて逃げこんだ檻(をり)にひとしい。
呂布はすでに檻の虎だ。
しかし、窮鼠が猫を咬(か)むの喩(たと)へもあるから、檻の虎の料理は、易しきに似て、下手をすれば、咬みつかれる怖れがある。
その席上、程昱が云つた。
「遠火で魚を焙(あぶ)るやうに、ゆるゆると攻(せめ)殺すがよいでせう。短兵急に押(おし)詰(つめ)ると、いはゆる破れかぶれとなつて、思慮に乏しい呂布のこと、どんな無謀をやるかしれません」
呂虔も、程昱の意見、然(しか)るべしと賛同して、
「呂布の立場になつてみると、今はたゞ蔵覇(ザウハ)(ママ)、孫観などの泰山の賊党が恃(たの)みであらうと思はれる。—それも儚(はかな)く、いよ/\面子(メンツ)もなく——最後の切札を選ぶとなれば——淮南の袁術へすがつて、無条件降伏を申し入れ、袁術の援けをかりて、猛然、反抗して来るにちがひありません」
曹操は、両者の言へ、等分にうなづいて、
「いづれの説も、余の意中と変りはない。余の惧(おそ)るゝところも、呂布と袁術とが、結ばれる点にある。——山東の道々は、余自身の軍をもつて遮断するから、劉玄徳は、その麾下をよく督して、下邳より淮南のあひだの通路を警備したまへ」
と、云つた。
玄徳は、謹んで、
「尊命、承知いたしました」
と、誓つた。
宴は終つて、一同、万歳を唱へ、各々陣所へ帰つて行く。
玄徳は即日、兵馬をとゝのへ、徐州には糜竺と簡雍(カンエウ)の二人をとゞめて、自身、関羽、張飛、孫乾(ソンカン)の輩(ともがら)を率(ひ)きつれて、邳郡(ヒグン)から淮南への往来を断(き)り塞(ふさ)ぐべく出発した。
それも——
下邳の窮敵に気づかれると、死(しに)もの狂ひの抵抗をうけることは必然なので、山を伝ひ、山間を抜け、漸く呂布の背面にまはつた。
要路の地勢を考へて、まず柵(サク)を結(ゆ)ひ、関所を設け、丸木小屋の見張所を建て、望楼を組上げなどして、街道はおろか、峰の杣道(そまみち)、谷間の細道まで、獣一匹通さぬばかり監視は厳重を極めてゐた。
× ×
× ×
冬は近づく。
泗水(シスヰ)の流れはまだ凍るほどにも至らないが、草木は枯れつくし、満目蕭条として、寒烈肌身に沁(し)みてくる。
呂布は、城を繞(めぐ)る泗水の流れに、逆茂木(さかもぎ)を引かせ、武具兵糧も、充分城内に積(つみ)入れて、
「雪よ。早く山野を埋めろ」
と、天に禱(いの)つた。
彼は自然の他力を恃(たの)みにしてゐたが、人智に長(た)けた陳宮は、冷笑して彼に諫めた。
「曹操の勢は、遠路を来て、戦ひつゞけ、まだ配備もとゝのはず、冬を迎へて陣屋の設けも出来てゐません。今、直(たゞち)に逆寄せをなし給へば、逸(イツ)をもつて労を撃つで——必ず大捷(タイセフ)を博すだらうと思ひます」
呂布は首を振つた。
「さううまくは行くまい。敗軍のあげくだから、まだ此方の将士こそ士気が揚つてゐない。彼の来り攻めるを待つて、一度に突いて出れば、曹軍の大半は泗水に溺れてしまふだらう」
「は。……さうですか」
陳宮も近頃は、彼に対する情熱を持ちきれないふうである。抗辯もせず嘲(あざ)笑(わら)つて引(ひき)退(さ)がつた。
とかうするまに、早くも曹操は山東の境を扼(ヤク)し、又当然下邳へ押(おし)よせて、城下を大兵で取(とり)詰(つめ)た。
そして二日餘りは矢戦(やいくさ)に送つてゐたが、やがて曹操自身、わづか二十騎ほどを従へて、何思つたか、泗水の際まで駒を出して、
「呂布に会はん」
と、城中へ呼びかけた。
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次回 → 煩悩攻防戦(一)(2024年11月6日(水)18時配信)