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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
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見れば、ひとりは豹頭虎眉の猛者(もさ)、すなはち張飛、ひとりは朱面長髯の豪傑、すなはち関羽であつた。
「や。や。玄徳の義弟(おとゝ)だ」
「張、関が現れたぞ」
眼に見、耳に聞いたゞけでも、呂布の兵は震ひ怖れた。ふたりは無人の境を行くやうに、呂布の備へを蹂躪(ジウリン)した。
「ふがひなき味方かな」
と、大将高順は部下を叱咤し、張飛の前に立(たち)ふさがつて、鏘々(シヤウ/\)、火花を交したが、忽ち、馬の尻に鞭打つて、潰走する味方の中に没し去つた。
関羽は、八十二斤の青龍刀をひつさげ、敢へて、雑兵には眼もくれず、中軍へ猪突して、
「めづらしや呂布。赤兎馬はなほ健在なりや」
と、呼びかけた。
事の不意と、意外な敵の出現に呂布は動顛(ドウテン)してゐたが、是非なく、馬を返して戦つた。
ところへ又、
「兄貴、その敵は、おれにくれ」
と、張飛が見つけて、迅雷のやうに蒐(かゝ)つて来た。
呂布は心中に、
「けふは悪日」
と呟いて、慌てふためきながら逃出した。
「やおのれ、待て」
と、張飛は追ふ。
関羽も跳ぶ。
赤兎馬の尾も触れんばかり後(うしろ)に迫つたが、彼の馬と、二人の馬とは、その脚足がまるで違ふ。
駿足赤兎馬の迅い脚は、辛くも呂布の一命を救つた。
徐州は奪(と)られ、小沛には這(は)入(い)れず、呂布は遂に、下邳へ落ちて行つた。
下邳は徐州の出城のやうなもので、元より小城だが、そこには部下の侯成がゐるし、要害の地ではあるので、
「ひとまづそこに拠つて」
と、四方の残兵を呼び集めた。
かくて戦は、曹操の大捷(タイシヨウ)に帰し曹操は玄徳に対して、
「もと/\其許(そこもと)の城だから、其許は以前の如く、徐州に入城して、太守の座に直りたまへ」
と云つた。
徐州には彼の妻子が監禁されてゐたが、糜竺や陳大夫に守られてゐたので、みな恙(つゝが)なく、玄徳を迎へて対面した。
久しぶり、一家君臣一座に会して、
「関羽と張飛は、小沛を離散の後、いづこに身を潜めてゐたのか」
玄徳が問ふと、
「てまへは海州の片田舎にかくれました」
と、関羽は答へたが、張飛は、
「ぜひなく茫蕩山(ボウタウザン)にのがれて、山賊をやつてゐた」
と、正直に語つたので人々は大笑ひした。
数日の後。
曹操は、中軍を会場として、盛大な賀宴をひらいた。
その時、彼は自分の左の席を、玄徳に与へた。右の方は、空席にしてゐた。
それから順に、従軍の諸大将や文官も席に着いたところで、曹操は立つて、
「この度、第一の功は、陳大夫陳登父子の働きである。余の右座は、陳老人に与ふるものである」
と、述べた。
全員、拍手の中に陳大夫老人は末席から息子に手を曳かれて曹操の右側に着席した。
「あなたには、十県の祿を与へ、子息陳登には伏波(フクハ)将軍の職を贈る」
と、曹操はなほ犒(ねぎ)らつた。
歓語快笑のうちに宴はすゝみ、その中で又、
「いかにして、呂布を生(いけ)虜(ど)るべきか?」
の最後の作戦が、和気藹々(ワキアイアイ)のうちに種々検討された。——生虜るか殺すかこんどこそ呂布の始末をつけないうちは曹操は許都へ退(ひ)かない決心であつた。
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次回 → 奇計(五)(2024年11月5日(火)18時配信)