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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 奇計(二)
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一方。
それへ近づいて来た高順と、張遼のはうでも呂布の姿を見て、心から不審さうに
「やつ、これは我君、どうしてこれへお越しなされましたか」
と、訊ねた。
「いや、おれよりも、其(その)方(ハウ)共こそ、一体何しにこんな所へ急いで来たか」
呂布の反問に高順、張遼はいよいよ解せない顔して、
「これはいかな事、われ/\両名は、固く小沛を守つて動かぬことを欲してゐましたが、つい二(ふた)刻(とき)ほど前、陳登馬を飛ばして馳せ来り、わが君には昨夜来、曹操の計にかゝつて重囲に陥ち給へり、疾く疾く徐州へ急いで主君を救ひ奉れ——と、かう城門で呼ばはるなり、鞭打つて立去りました故、すはこそと、遽(にはか)に要意をとゝのへ、これまで参つたところでござる」
側で聞いてゐた陳宮は、もう笑ふ元気も、怒る勇気もなくなつたやうな、たゞ〔ほろ〕苦い唇を歪(ゆが)めて、
「それもこれも、みな陳大夫陳登父子(おやこ)の謀(たくら)み事、さて/\首尾よくもかゝつたり、悔めど遅し、醒(さむ)れど及ばず。——噫(あゝ)」
と、横を向いた。
呂布は恨みがましく、〔はつた〕と眼を天の一方にすゑて
「うゝむ、よくもおれに苦杯をのましたな。おれがいかに陳登父子を寵用(チヨウヨウ)して目をかけてやつたか、誰もみな過分と知つてをるところだ。忘恩の悪漢め。どうするか見てをれ」
陳宮は、冷やゝかに云つた。
「御主君、漸くおわかりになりましたか。しかし、これからどうなさいます」
「小沛へ行かう」
「およしなさい。恥をかさねるだけです。——陳登はもう曹操の軍を引入れて、祝杯を貪つてゐるに違ひありません」
「さもあらばあれ、彼奴等の如き、蹴ちらして奪ひ回(かへ)すまでだ」
猛然先に立つて、小沛の城壁の下まで来た。
陳宮の云つた通り、城頭にはもう敵の旌旗が翩翻(ヘンポン)とみえる。——そして呂布来れりと聞くとそこの高櫓(たかやぐら)へ登つた陳登が、声高に笑つて云つた。
「あれ見ろ、赤い馬に乗つた物乞を。飢ゑたか、何を吠えてゐるぞ。岩石でも喰らはしてやれ」
「忘恩の賊陳登。おれの恩を忘れたか。きのふ迄(まで)、誰のために着、誰のために祿を喰(は)んでゐたか」
「だまれ、我もと漢朝の臣、あに汝ごとき粗暴逆心の賊に心から随身なさうや。——愚(おろか)ものめ!」
「うぬつ、その細首の髻(もとゞり)を、この手につかまぬうちは、誓つてここを退(ひ)かんぞ!陳登、城を出て闘へ」
喚(わめ)いてゐるところへ、後(うしろ)にある高順の陣をめがけて、突然、一(イツ)彪(ペウ)の軍馬が北方から猛襲して来た。
「さてはまだ曹操の兵が、城外にもゐたのか」
と、大に動揺して、左右の陣を、遽(にはか)に後(うしろ)へ開いて、鶴翼に備へ立て
「いざ、来い」
と、各々手に唾(つば)して待(まち)かまへたが、近づくと、それは曹操の兵とも見えない。怖(おそろ)しく薄(うす)穢(ぎたな)くて雑多な混成軍であつた。馬も悪いし武器も不揃ひだつた。然(しか)し、勢は甚しくすさまじい。どつと向ふ見ずに突喊(トツカン)して来たかと思ふと、先手と先手のぶつかり合つた波頭線の人馬は、血けむりに赤く霞んで、双方の喚きは、直に惨烈を極めた。すると、忽ちに四散して、馬前人もなき鮮血の大地を蹴つて、
「劉玄徳の舎弟関羽!」
「玄徳の義弟(おとうと)張飛とはおれのことこの顔を覚えてをれ」
と、名のりながら、馬を獅子の如く躍らして来る二騎があつた。
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次回 → 奇計(四)(2024年11月4日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。