ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 奇計(一)
***************************************
「はてな?」
呂布は漸く気がついた。
同時に、相手の軍勢の中でも、
「戟を引け、者共しづまれ。——もしや対手(あひて)は味方ではないか。曹操の軍とも思はれぬふしがある」
と、陳宮の声が頻(しき)りとしてゐた。
「馬鹿つ。同士(ドウシ)討(うち)だつ」
呂布はどなつた。
けれど、さう気がついたのがすでに遅い。双方とも夥(おびたゞ)しい死傷を出し、お互ひに意味なき戦をしたことに呆(あき)れはてゝ、茫然たるばかりだつた。
「怪(け)しからぬ陳登の虚言。おれに報告した事と、そちに云つた事とはまるで違ふ。……ともあれ、砦(とりで)へ行つてよく聞かう」
呂布は、怪しみながらも、そこで出会つた陳宮の兵を合せ、彼を連れて蕭関へ急いで来たが、そこへ近づくや否(いな)、砦の内から一斉に曹操の兵が不意を衝いて喚(をめ)きかゝつて来た。
こんどは本当の曹操の兵だつた。先に陳登が引入れておいたものである。鳴(なり)をしづめて待ち構へてゐた矢先でもある。何でたまらう、呂布、陳宮の兵は、潰乱混走を重ね、又しても、徹底的な打撃をうけてしまつた。
呂布さへ、闇を逃げまどつて、辛くも夜が明けてから、山間(やまあひ)の岩陰から出て来たほどである。
幸ひに、陳宮に出会つたので、残り少い味方をあつめ、
「ともかく、この上は、徐州へ帰つて、一思案し直さう」
と、悄然(セウゼン)と急いだ。
ところが。
徐州の城門へ馳け入ろうとすると、櫓の上からバシヤ/\ツと雨のやうな矢が降つて来た。
「こはいかに?」
と仰天して、嘶(いなゝ)く駒の手綱をしめながら、城楼をふり仰ぐと、糜竺が壁上にあらはれて、
「匹夫。何しに来たか」
と、大音で罵つた。
「この城こそは、前(さき)に汝が詐(いつは)つてわが旧主玄徳様から騙(だま)し奪つたもの。当然、今日もとの主人の手に返つた。もはや汝の家ではないのだ。どこへでも行きたい方角へ落て行け!」
呂布は、鐙(あぶみ)に立つて、歯がみをしながら、
「陳大夫はゐないかつ。城内に陳大夫がゐるだらう。——陳大夫!顔を見せろ」
と、さけんだ。
糜竺は、から/\と笑つて、
「陳老人は今、奥にあつて、祝杯をあげて御座る。まんまと計られた対手(あひて)に、この上、未練なすがたを見せたいのか」
云ひ終ると、彼のすがたも、翻(ひら)りと楼の内にかくれ、後にはどつと手を拍(う)つて笑ふのみが聞えた。
「無念だ。無念だ。……だが、まさか陳大夫が俺を?」
呂布は、狂ひまはる駒と共に、低徊(テイカイ)してそこを去らなかつた。
陳宮は、歯ぎしりして、
「まだ悪人の奸計とお覚(さと)りなく、愚かな後悔に恋々と御苦悶あるか。悲しい哉、わが主君は、死ななければ目の醒めないお人だ」
餘りな呂布の醜態に、陳宮は腹を立てゝ、独り先へ駒を引つ返してゆくと、呂布もあわてゝ後を追つて来た。
そして、力なく、
「小沛へ行かう。小沛の城には、腹心の張遼、高順のふたりを入れて守らせてある。暫く小沛に拠つて形勢を見よう」
と、云つた。
実際、残る策としては、それしかなかつた。さすがの陳宮も万策つきたか、黙々と呂布に従つて行つた。
すると、何(ど)うだらう?
紛れもない張遼、高順の二将が彼方から来るではないか。しかも小沛の兵をのこらず率(ひき)つれ、砂けむりを揚げて、此方へ急いでくる様子なのだ。——呂布、陳宮は眼をみはつて
「おやつ?何で……」
と、又しても、呆ツ気にとられた顔をして口を開いてゐた。
***************************************
次回 → 奇計(三)(2024年11月2日(土)18時配信)