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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 健啖(けんたん)天下一(七)
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今は施すすべもない。何をかへりみてゐる遑(いとま)もない。業火と叫喚と。
そして味方の混乱が、否応もなく、玄徳を城の西門から押出してゐた。
火の粉と共に、われがちに、逃げ散る兵の眼には、主君の姿も見えないらしい。
玄徳も逃げた。
けれど、いつのまにか、彼はたた(ママ)一騎となつてゐた。
小沛から遠く落ちて、たゞの一騎となつた身に、気がつゐた時、玄徳は、
「ああ、恥しい」
と思つた。
もう一度、城へ戻つて戦はうかと考へた。小沛の城には老母がゐる、妻子が残してある。
「——何で、われ一人、この儘(まゝ)長らへて落ちのびられよう」
慚愧にとらはれて、しばし後(うしろ)の黒煙をふり向いてゐたが、
「いや待て。——こゝで死ぬのが孝の最善か。妻子への大愛か。——呂布もみだりに老母や妻子を殺しもしまい。今もどつて徒(いたづら)に呂布を怒らすよりはむしろ呂布に完全な勝利を与へて、彼の心に寛大な情のわくのを祈つてゐたはうがよいかもしれぬ」
玄徳は、さう思慮して、悄然とひとり落ちて行つた。
彼のその考へは後になつてみると賢明であつた。
呂布は、小沛を占領すると、糜竺をよんで、
「玄徳の妻子は、そちの手に預けるから、徐州の城へ移して、固く守つてをれ。擒虜(とりこ)の女子供を侮(あなど)つて、みだりに狼藉する兵でもあつたら、これを以て斬り捨てゝさしつかへない」
と、自身の佩(は)いてゐた剣を解いて授けた。
糜竺は拝謝して、玄徳の妻子を車にのせ徐州へ移つた。
呂布は又、高順、張遼の両名を、この小沛の城に籠めて自身は、山東、兗州の境にまで進み、威を振つて敗残の敵を狩りつくした。
関羽。
張飛。
孫乾(ソンカン)など。
諸将の行方を追及することも急だつたが彼等は山林ふかく身を寓(よ)せて、呂布の捜索から遁(のが)れてゐたので、遂に、網の目にかゝらなかつた。
玄徳は、許都へ志した。思へばさういふ中をたゞ一騎、無事に落ちのびられたのは、奇蹟と云つてもよい。
山に臥し、林に憩ひ、惨たる旅をつゞけてゆくうちに、
「我君(わがきみ)。我君つ——」
と或る谷あひで追ひついて来る数十騎の者があつた。見ると、孫乾(ソンカン)であつた。
「ようこそ御無事に」
と、孫乾は、玄徳のすがたを見ると、声をあげて哭(な)いた。
「嘆いてゐる場合ではない。とにかく許都へ上つて、曹操に会ひ、将来を計らう」
主従は、道をいそいだ。
わびしき山村が見えた。玄徳以下、飢ゑつかれた姿で、村に辿り着いた。
すると、誰が伝へたわけでもないのに、
「小沛の劉玄徳様が、戦に負けて、こゝへ落ちて御座られたさうな」
「あの、劉豫州様かよ」
「おいたはしい事ではある」
と、そこらの茅屋(あばらや)から村の老幼や、女子どもまで、走り出て、路傍に坐り、彼の姿を拝して、涙をながした。
田夫(デンプ)野人(ヤジン)と呼ばれる彼等のうちには、富貴の中にも見られない真情がある。人々は、食物を持つて来て玄徳に献げた。又ひとりの老媼(おうな)は、自分の着物の袖で、玄徳の泥沓(どろぐつ)を拭いた。
無智といはれる彼等こそ、人の真価を正しく見てゐた。日頃の徳政を通して、彼らは、
「よい御領主」
と、玄徳の人物を、夙(つと)に知つてゐたのであつた。
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次回 → 黒業(こくげふ)白業(びやくげふ)(二)(2024年10月28日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。