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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 健啖天下一(二)
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何を口喧嘩してゐるのか。
この戦の中に。
又、義兄弟(けふだい)仲のくせして。——と兵卒たちが、守備をすてゝ、関羽、張飛のまはりへ立つて聞いてゐると、
「なぜ、敵将を追ふなと止めるか。敵の勇将を見て、追はぬ程なら、戦などやめたがいゝ」
と云つてゐるのが張飛。
それに対して、関羽は、
「いや、張遼(チヤウレウ)といふ人物は、敵ながら武藝に秀で、しかも恥を知り、従順な色が見える。——だから生かしておきたいのだ。そこが武将の〔ふくみ〕といふものではないか」
と、諭したり、説破したり、論争に努めてゐる。
玄徳の耳にはいつたとみえ、
「この際、何事か」
と、叱りが来た。
「関羽、どつちが理か非か。家兄の前へ出て埒(ラチ)を明けよう」
張飛は、関羽を引つぱつて、遂に、玄徳の前まで議論を持ち出した。
で、双方の云ひ分を玄徳が聞いてみると、かういふ次第であつた。
その日、早朝の戦に。
呂布の一方の大将張遼が、関羽の守つてゐる西門へ押(おし)よせて来た。
関羽は、城門の上から、
「敵ながらよい武者(ムシヤ)振(ぶり)と思つたら、貴公は張遼ではないか。君ほどな人物も、呂布の如き粗暴で浅薄な人間を主君に持つた為、いつも無名の戦や、反逆の戦場に出て、武人か強盗か疑はれるやうな働きをせねばならぬとは、同情にたへない事だ。——武将と生れたからには戦はゞ正義の為、死なば君国の為と云はれるやうな生涯をしたいものだが、不惜(あたら)、忠義のこゝろざしも、貴公としては、向け場がござるまい」
と、大音ながら、話しかけるやうな口調で呼びかけた。
すると——
寄手をひいて、猛然、攻めかけて来た張遼が、何思つたか、急に馬をめぐらして、今度は張飛の守つてゐる東の門へ攻めに廻つた様子である。
そこで関羽は、馬を馳せて、張飛の守つてゐる部署へ行き、
「討つて出るな」
と、極力止めた。
「——張遼は惜しい漢(をとこ)だ。彼には正義の軍につきたい心と、恥を知る良心がある」
と、敵とはいへ、助けておきたい心もちと理由とを、張飛に力説した。
「おれの部署へ来て、よけいな指揮はしてもらひたくない」
張飛は、肯(き)かない。
そこで口論となり、時を移してしまつたので、寄手の張遼も、餘りに無反応な城門に、不審を起したものか、やがて、退(ひ)いてしまつたといふわけであつた。
「惜しいと云ひたいのは、張遼を討ちもらした事で、まつたく、関羽に邪魔されたやうなものだ。家兄、これでも、関羽のはうに理がありませうか」
張飛は、例の如く、駄々をこね出して、玄徳に訴へた。
玄徳も、裁きに困つたが、
「まあ、よいではないか。捕へても逃がしても、大海の魚一尾、張遼一名のために、天下が変るわけもあるまい」
と、何(どつ)ちつかずに、双方を慰撫した。
× ×
どこかで、可憐な小女の歌ふ声がする。
十里城外は、戦乱の巷(ちまた)といふのに、こゝの一廓は静(しづか)な秋の陽に盈(み)ち、芙蓉の花に、雲は麗しく、木犀(モクセイ)のにほひを慕つて、小さい秋蝶が低く舞つてゆく。
にらの花が、地面にいつぱい
金かんざし、銀かんざし
お嫁にゆく小姑に似合はう
小姑のお聟(むこ)さんは
背むしの地主(ぢぬし)老爺(おやぢ)
床(とこ)にねるにも、おんぶする
卓へつくにも、だつこする
隣のお百姓さん
見ない振(ふり)しておいで、
誰も笑はないことにしよう
前世の因縁、しかたがない
徐州城内の、北苑(ホクヱン)、呂布の家族や女たちのみゐる禁園であつた。十四ばかりの小女が、芙蓉の花を折りながら歌つてゐる。歌に甘えて、その背へ、うしろから抱きついてゐるのは、少女の妹であらう。やつと歩けるほどな幼さである。
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次回 → 健啖天下一(四)(2024年10月22日(火)18時配信)