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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 健啖天下一(一)
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矢は狙ひあやまたず、旅人の脚を射止めた。
猟犬のやうに、下僕の童子はそれへ飛びかゝつてゆく。
陳宮も、弓を投げすてゝ、後から馳け出した。猛烈に反抗するその男を召捕つて、きびしく拷問してみると、それは、小沛の城から玄徳の返簡をもらつて、許都へ帰る使の者といふことが分つた。
「曹操の密書を帯びて、玄徳へ手わたして、来たといふのか」
「はい。……」
「では、玄徳から曹操へ宛てた返書を、それに持つてをるだらう」
「いえ、それはもう、先へ行つた伝馬(テンマ)の者が携へてゆきましたから手前は持つてをりません」
「偽を申せ」
「噓ではございません」
「きつとか」
陳宮が、剣に手をかけると、旅の男は、飛び上つた。
とたんに、真赤な霧風が剣光を捲いた。大地には、首と胴が形を変へて離れ/゛\になつてゐる。
「童子。死骸を検(しら)べてみろ」
「御主人様。……袍の襟を解いたらこんな物が出て来ました」
「オヽ。玄徳の返書だ」
陣宮は、一読すると、
「誰にも、口外するなよ。わしはこれから、徐州城へ参る故(ゆゑ)、弓を持つて、おまへは先に邸(やしき)へ帰れ」
供の童子にいひ残して、陳宮はその足ですぐ登城した。
そして、呂布に謁し、云々(しか/゛\)と仔細を告げて、玄徳から曹操へ宛てた返簡を見せると、呂布は、鬢髪(ビンパツ)をふるはせて、激怒した。
「匹夫、玄徳め。——いつのまにか曹操と謀(しめ)しあはせて、この呂布を亡さんと謀つてをつたな」
直(たゞち)に、陳宮、臧覇(ザウハ)の二大将に兵を授け、
「小沛の城を一揉みにもみ潰し、玄徳を生捕つて来れ」
と、命じた。
陳宮は謀士である。小沛は小城と見ても無謀には立ち向はない。
彼は、附近の泰山にゐる強盗群を語らつて、強盗の領袖、孫観(ソンクワン)、呉敦(ゴトン)、昌稀(シヤウキ)、尹礼(インレイ)などゝいふ輩(やから)に、
「山東の州軍を荒し廻れ。今なら、伐(きり)取り勝手次第」
と、けしかけた。
宗憲、魏続の二将は逸(いち)はや汝頴地方へ軍を突出して、小沛のうしろを扼(ヤク)し、本軍は徐州を発して正面に小沛へ迫り、三方から封鎖しておめき襲(よ)せた。
玄徳は、驚愕した。
「さては、返書を持たせて帰した使(つかひ9が、途中召捕られて、曹操の意思が、呂布へ洩れたか」
と、胆を寒うした。
先頃、曹操から、密書をもつて云ひよこしたことばには、呂布を討つ機会は、実に今を措いてはない。北方の袁紹も、北平と事を構へて、黄河からこつちを顧みてゐる遑(いとま)はなし、呂布、袁術のあひだも、国交の誼(よし)み無く、予と其許(そのもと)とが呼応して起(た)てば、呂布は孤立の地にある。寔(まこと)に、易々たる事業といふべきではないか。
要するに、戦備の催促である。もちろん劉玄徳は、敢然、協力のむねを返簡した。——呂布が見て怒つたのも当然であつた。
「関羽は西門を守れ、張飛は東門に備へろ、孫乾は北門へ。又、南門の防ぎには、この玄徳が当る」
取(とり)あへず部署をさだめた。
何しろ急場だ。城内鼎の沸くやうな騒ぎである。——その混乱の中といふのに、関羽と張飛のふたりは、何事か西門の下で口論してゐた。
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次回 → 健啖天下一(三)(2024年10月21日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。