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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 北客(三)
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やがて、荀彧は召(めし)によつて府へ現れた。
曹操は、特に人を遠ざけて、閣のうちに彼を待つてゐた。
「荀彧か。けふはそちに、取(とり)わけ重大な意見を問ひたいため呼んだわけだが、まづ、これを一見するがよい」
「書簡ですか」
「さうだ。昨日、袁紹の使(つかひ)が着いて、遙々(はる/゛\)齎(もたら)して来たもの。即ち、袁紹の自筆である」
「……なる程」
「これを読んで、そちは何(ど)う感じるな」
「一言で申せば、辞句は無礼尊大であるし、又、書面で言つて来たことは、虫のよい手前勝手としか思はれません」
「さうだらう。——袁紹の無礼には、積年、余は忍んで来たつもりだが、かく迄(まで)愚弄されては、もはや堪忍もいつ破れるか知れぬ気がする」
「御もつともです」
「——たゞ、何(ど)う考へても、袁紹を討つには、まだ些(いさゝ)か余の力が不足してをる」
「よく御自省なさいました。その通りであります」
「しかし、断じて余は彼を征伐しようと思ふ。そちの意見は何(ど)うだ?」
「必ず行うてよろしいでせう」
「賛成か」
「仰せまでもございません」
「余は勝つか」
「御必勝、疑ひもありません。わが君には四勝の特長あり、袁紹には四敗の缺点がありますから」
と、荀彧は、きのふ郭嘉(かくか)が述べた意見と同じやうに、両者の人物を比較して、その得失を論じた。
曹操は、手を打つて、大いに笑ひながら、
「いや、そちの意見も、郭嘉のことばも、まるで割符(わりふ)を合(わは)せたやうだ。余も、缺点の多いことは知つてゐる。さういゝところばかりある完全な人間ではないよ」
と、彼の言を遮つてから又、真面目に云ひ直した。
「然(しか)らば、袁紹の使(つかひ)を斬つて、即時、彼に宣戦してもよいか」
「いや!その儀は?」
「いけないか」
「断じて、今は」
「なぜ」
「呂布をお忘れあつてはなりません。常に、都を窺(うかゞ)つてゐる後門の虎を。——それに、荊州方面の物情もまだ決して安んじられません」
「では、なほ将来まで、袁紹の無礼に忍ばねばならんか」
「至誠をもつて、天子を輔(たす)け、至仁をもつて士農を愛し、おもむろに新しい時勢を転回して、時勢と袁紹とを戦はせるべきです。——御自身、戦ふ必要のないまでに、時代の推移に、袁紹の旧官僚陣が自解作用を起してくるのを待ち、最後の一(ひと)押(おし)といふ時に、兵をうごかせば、万全でせう」
「ちと、気が長いな」
「何の、一瞬です。——時勢の歩みというものは、かうしてゐる間も、目に見えず、怖(おそろ)しい迅さでうごいてゐる。——が、植物の成長のやうに、人間の子の育つやうに、目には見えぬ気がするので長い気がするのですが、実は、天地の運行と共に、瞬くうちに変つてゆくものです。——何せよ、こゝはもう一応、御忍耐が肝要でせう」
郭嘉、荀彧ふたりの意見が、まつたく同じなので曹操も遂に迷ひを捨て、次の日、袁紹の使者を丞相府に呼んで、
「御要求の件、承知した」
と、曹操から答へて、糧米(リヨウマイ)、馬匹(バヒツ)その他、夥(おびたゞ)しい軍需品をとゝのへて渡した。そして、使者には、盛大な宴を設けて犒(ねぎら)ひ、又、その帰るに際しては特に、朝廷に奏請して、袁紹を大将軍太尉にすすめ、冀州、青州、幽州、拝州(ハイシウ)(ママ)の四州をあはせて領さるべし——と云ひ送つた。
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次回 → 健啖(けんたん)天下一(一)(2024年10月18日(金)18時配信)
昭和15年(1940)10月18日(金)付の夕刊は、前日(配達日)の10月17日(木)が祝日(神嘗祭)のため休刊でした。これに伴い明日の配信はありません。