ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 梅酸・夏の陣(四)
***************************************
「それくらゐな事はあらうと、かねての用意はある」
曹操は𤢖(さは)がなかつた。
荀彧の使(つかひ)にも、
「案じるな」
と、云つて返した。
安象の堺まで来ると、果(はた)せるかな劉表の荊州兵と張繡の聯合勢とが難所をふさいでゐた。
「彼に地の利あれば、われにも地の利を取らねばなるまい」
曹操も亦(また)、一方の山に添うて陣をした。そして、その行動が日没から夜にわたつてゐたのを幸(さいはひ)に、夜どほしで、道も無(なさ)さうな山に一すぢの通りを坑(ほ)り、全軍の八割まで山陰の盆地へかくしてしまつた。
夜が明けて、朝霧も霽(は)れかけて来ると、小手をかざして彼方の陣地から見てゐた劉表、張繡の兵は、
「なんだ、あんな小勢か」
と、呟いてゐる様子だつた。
「あんなものだらう」
と、頷(うなづ)く者は云つた。
「このあひだは五万から戦死してゐるし、それに、難行苦行、敗(ま)け軍(いくさ)のひきあげだ。途中、逃亡兵も続出する。病人もすてゝ来る。——あれだけでもよく還つて来たくらゐなものだらう」
軍の幹部たちも、その程度の見解を下したものか、やがて要害を出て、野を真つ黒に襲撃して来た。
充分、侮(あなど)らせて。
又、近よせておいて。
曹操は、突然山の一角に立ち現れて、
「盆地の襲兵ども、今だぞ、淵(ふち)を出て雲と化(な)れ!野を繞(めぐ)つて敵を抱きこみ、みなごろしにして、血の雨を見せよ!」
と、号令を下した。
眼に見えてゐた兵数の八倍もする大兵が、地から湧いて、退路をふさぎ、側面前面から掩(おほ)ひつゝんで来たので、劉表、張繡の兵はまつたく度を失つた。
曠野の秋草は繚乱(レウラン)と、みな血ぶるひした。所々に、死骸の丘ができた。逃げ争つて行つた兵は、要害に居たゝまらず、山向ふの安象の町へ逃げこんだ。
「県城も焼きつぶせ」
曹操の兵は、鬱憤ばらしに追撃を加へて行つたが、その時又も——実にいつも肝腎なもう一(ひと)攻(せめ)といふ時に限つて意地わるく来る——都の急変が報じられてきた。
河北の袁紹、都の空虚をうかゞひ
大動員を発布。
と、いふのであつた。
「——袁紹が!」
これにはよほど愕(おどろ)いたとみえて、曹操は何ものも顧みず、許都へさして昼夜をわかたず急いだ。
張繡、劉表は彼のあわて方を見て、こんどは逆に追はうとした。
「追つたら必ず手痛い目にあひますぞ」
賈詡は諫めたが、二将は追撃した。案のぜう、途中、屈強な伏兵にぶつかつて、惨敗の上塗(うはぬり)をしてしまつた。
賈詡は、二将が懲(こり)た顔をしてゐるのを見て、
「——何をしてゐるんです!今こそ追撃する機会です。きつと大捷(タイセフ)を博しませう」
と、励ました。
二の足ふんだが、賈詡が餘り自信をもつて励ますので、再び曹操の軍に追ひついて、戦を挑むと、こんどは存分に勝つて、凱歌をあげて帰つた。
「実に妙だな。賈詡、いつたい其許(そこもと)には、どうしてそのやうに、戦ひの勝敗が、戦はぬ前にわかるのか」
後(あと)で、二将が訊くと、賈詡は笑つて答へた。
「こんな程度は、兵学では初歩の初歩です。——第一回の追撃は敵も追撃されるのを豫想してゐますから、策を授け、兵も強いのを残して、後(うしろ)に備へるのが常識の退却法です。が、——二度目となると、もう追ひ来る敵もあるまいと、強兵は前に立ち、弱兵は後となつて、自然気も弛(ゆる)みますから、その虚を追へば、必ず勝つなと信じたわけであります」
***************************************
次回 → 北客(一)(2024年10月12日(土)18時配信)