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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 梅酸・夏の陣(三)
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古今の武将のうち、戦をして、彼ほど快絶な勝ち方をする大将も少(すくな)いが、また彼ほど痛烈な敗北をよく喫してゐる大将も少い。
曹操の戦は、要するに、曹操の詩であつた。詩を作るのと同じやうに彼は作戦に熱中する。
その情熱も、その構想も、たとへば金玉の辞句をもつて、胸奥の心血を奏でようとする詩人の気持と、ほとんど相似たものが、戦にそのまゝ駆りたてられてゐるのが、曹操の戦ぶりである。
だから、曹操の戦は、曹操の創作である。——非常な傑作があるかと思へば、甚(はなはだ)しい失敗作も出る。
いづれにせよ、彼は、戦を楽しむ漢(をとこ)であつた。楽しむほどだから、惨敗を喫しても、悄(しを)れないかといへばさうでもない。
さすがの曹操も、大敗して帰る途中は、凄愴な眉と、惨たるものを顔色に沈めてゆく。
梅酸も酸味
敗戦も亦(また)酸
不同(おなじからず)と雖(いへど)も似たり
心舌を超えて甘し
馬上、揺られながら、彼はいつか詩など按(あん)じてゐた。逆境の中にも、なほ人生を楽しまうとする不屈な気力はある。決して、さし迫ることはない。
襄城(ジヤウジヤウ)をすぎて、淯水の畔(ほとり)にかかつた。
ふと、彼は馬を止めて、
「……噫(あゝ)」
と、低徊(テイクワイ)しながら、頰に涙さへながした。
怪しんで、諸将がたづねた。
「丞相、何でそのやうに悲しまれるのですか」
「こゝは淯水ではないか」
「さうです」
「去年、やはりこの地に張繡を攻めて、自分の油断から、典韋を討死させてしまつた。——典韋の死を傷んで、ついその折の事共を思ひ出したのだ」
彼は、馬を降りて、水辺の楊柳(やなぎ)につなぎ、一基の石を河原の小高い土にすゑて、牛を斬り、馬を屠(ほふ)つた。そして典韋の魂魄(コンパク)をまねくの祀(まつり)をいとなみ、その前に礼拝して、遂には声を放つて哭(な)いた。
多くの将士もみな、曹操の情に厚い半面に心を打たれ、交々(こも/゛\)、拝礼した。
次に、曹操の嫡子曹昂の霊をまつり、又甥の曹安民の供養をもなした。——楊柳の枝は長く垂れて、水はすでに秋冷の気をふくみ、黒い叭々鳥(ハヽテウ)がしきりと飛び交つてゐた。
——諸軍号哭の声やまず。
と、原書は支那流に描写してゐる。初夏、麦を踏んで意気衝天の征途につき、涼秋八月、満身創痍の大敗に恥を嚙んで国へ帰る将士の気持としては、あながち誇張のない表現かもしれない。
顧みれば、呂虔とか于禁などの幕将まで負傷してゐる。無数の輜重(シチヤウ)は敵地へ捨てゝ来た。——噫(あゝ)。仰げば、暮山すでに晦(くら)く陽は陰らうとしてゐる。
「あつ、何者か来る!」
「味方の早打(はやうち)だ」
士卒が口々に云つた時、彼方から早馬一騎、鞭をあててこれへ来た。
許都に残つてゐる味方の荀彧から来た使(つかひ)である。もちろん書簡を携(たづさ)へてゐる。
さつそく曹操がひらいて見ると
荊州の劉表、奇兵を発し
御帰途を安象(アンシヤウ)附近に待つて
張繡と力を協(あは)す。
御警戒あるやうに。
と、いふ報(しらせ)だつた。
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次回 → 梅酸・夏の陣(五)(2024年10月11日(金)18時配信)