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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 梅酸・夏の陣(二)
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賈詡が胸中の計とは何?
彼は、張繡に説いた。
「こんどの戦闘中、ひそかに、それがしが矢倉のうへから見てゐると、曹操は、城攻めにかゝる前に、三度、この城を巡つて、四門のかためを視察してゐました。——そして彼がもつとも注意したらしい所は、東南の巽(たつみ)の門です。——なぜ注意したといへば、あそこは鹿角木(さかもぎ)の柵も古く、城壁も修理したばかりで、磚(かはら)は古いのと新しいのと不揃ひに積み畳まれてゐる。……要するに、防塁の弱点が見えるのです」
「ムム、なる程」
「——で、烱眼(ケイガン)な曹操はすぐ、この城を陥す攻口(せめくち)はこゝと、肚(はら)のうちでは決めてゐるに違ひないのです。——そこで彼は次の日から、西門に主力をそゝぎ、自分もそこに立つて、躍起と攻め初めたものでせう」
「東南門の巽の口を、攻め口と極(きめ)てをりながら、なぜ西門へ、あんな急激にかゝつて来たのか」
「偽撃転殺(ギゲキテンサツ)の計です。——つまり西門に防戦の力をそゝがせておいて、突然巽の門をやぶり、一殺に、宛城を葬らんとする支度です」
張繡は聞いて、慄然、肌に粟(あは)を生じた。
「それがしにお任せください」
賈詡は、直(たゞち)に、それに備へる手筈にかゝつた。
この城中に、賈詡のあることは、曹操も疾(と)く知つてゐる。又賈詡の人物も、知りぬいてゐるはずである。
——にもかゝはらず、
曹操ほどな智者も、自分の智には墜ち入りやすいものとみえる。
彼は、その夜、西門へ総攻撃するやうにみせかけて、ひそかによりすぐつた強兵を巽にまわし、自身まツ先に進んで鹿垣(しかがき)、逆茂木(さかもぎ)を打越え、城壁へ迫つて行つたが、〔ひそ〕として迎へ戦ふ敵もない。
曹操は、快笑して、
「笑止や。わが計にのつて、城兵はみな西門の防ぎに当り、かくとも知らぬ様子だぞ」
一挙に、そこを打破つて、壁門の内部へ突入した。——と、こはいかに、
内部も暗々黒々として篝(かゞり)の火一つみえない。餘りの静(しづけ)さに、
「はてな?」
駒脚を止めて見廻したとたんに、ぐわあん!——と一声の狼火(のろし)がとゞろいた。
「しまつた」
曹操は、つゞく手勢を振向いて、絶叫した。
「——虚誘掩殺(キヨイウエンサツ)の計(はかり)ごとだつ。——退却つ、退却つ!」
しかし、もう遅かつた。
地をゆるがす喊(とき)の声と共に、十方の闇はすべて敵の兵となつて、
「曹操を生捕れ」
とばかり圧縮してきた。
曹操は単騎、鞭打つて逃げ走つたが、その夜、巽の口で討たれた部下の数は、何千か何万か知れなかつた。
こゝばかりでなく、偽攻の計を見やぶられたので、西門の方でも、さん/゛\に張繡のために敗られ、全線にわたつて、破綻を来した為、五更の頃まで、追撃をうけ、夜も明けて陽(ひ)を仰いだ頃、城下二十里の外に退いて、損害を調べると、一夜のうちに味方の死者五万餘人を生じてゐたことが判つた。折から又
「荊州の劉表、遽(にはか)に兵をうごかし、わが退路を断つて、許都を衝かんとする姿勢に窺(うかゞ)はれる」
といふ凶報は来るし——曹操は、惨たる態(テイ)で、歯がみしたが、
「今にみよ」
と、恨みの一言を、敗戦場に吐きすてゝ、
「退くも兵法」
とばかり向(むき)を更(か)へて、許都へひつ返した。
途中まで来ると、
「劉表は一たん大兵を出さうとしたが、呉の孫策が、兵船をそろへ、江を溯(のぼ)つて、荊州を荒さん——と聞えたので、怯気(おぢけ)づいて、出兵の可否に迷つてをる」
といふ情報が入つた。
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次回 → 梅酸・夏の陣(三)(2024年10月10日(木)18時配信)